あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

ジャン・フルネ追悼コンサート

2009年2月26日(木) 東京芸術劇場

ビゼー交響曲第1番 ハ長調
指揮:ガスパール・ブレクール=フルネ
ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」 変ホ長調 作品55
指揮:小泉和裕


 昨年の11月に他界したジャン・フルネの追悼コンサート。
 演奏に先立って、フルネを永久名誉指揮者にすると理事長からコメントがあり、証書(というか辞令書の)授与が行われた。もちろん、他界している本人は不在なので、代わりにフルネ夫人が受け取っていた。

 そのあと、フルネ夫人から簡単なスピーチがあった。
 内容はよくある話で、生前、フルネが日本をどれだけ愛していたか、とか、都響とその聴衆への気遣いなどだった。時折、声が詰まり、目に涙を浮かべて話す婦人の姿に、こちらも涙が出そうになる。

 さて、そのあと、孫のガスパールによるビゼー交響曲第一番。
 演奏は、縦の線をきっちりと合わせ、端正な演奏。もっとも、まだ若いというのもあって、ダイナミクスもあり、古根のビゼーとは方向性は近いモノの、立ち上ってくるようなフランス音楽のエスプリ感はなかった。和声の処理の仕方、というのかな。そこにもっと拘ると「フルネ・マジック」なんていわれたあの音色が生まれるかも。
 ただ、そうはいっても、生前のフルネのビゼーは優等生っぽいと言うか、ちょっと中庸過ぎて管理人には若干物足りなかった。ところはある。ただ、この曲を生で聴く機会は、これからめっきり減るんだろうなぁ…。


 後半は小泉和裕による英雄。
 小泉の指揮なので、全く奇をてらったところはなく、いたって正統派。
 ただ、ビゼーの練習時間が多かったのだろうか、第一楽章など、弦の縦が揃ってなかったり、もっと出来るのでは?なんて思う場面もしばしば。
 正統派だから、ヘンなところは全くないモノの、物足りなさも感じるのは確かなところ。もっとこの曲の内面的なところまで迫れるんじゃないのかな、なんて勝手に思った。
 結論から言えば、2,4楽章が名演。特に葬送行進曲は、追悼の念から前に進むのがためらわれるような弦の響きや、哀しみを湛えた木管など、素晴らしかった。終楽章もストレートな解釈がここでは推進力を産んで、作品に内在する力強さが遺憾なく発揮されたと思う。

 実は、4月に同じく、都響で今度はインバルによる英雄がある。チケットは買ったので、はたして、同一オケで短期間に同じ曲をどのように演奏するか楽しみだ。