あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

感染症は世界史を動かす

感染症は世界史を動かす (ちくま新書)

感染症は世界史を動かす (ちくま新書)

ここ数年、猛烈な勢いで新型インフルエンザの危機を訴える岡田晴恵氏による著作。
 祝日だったので、一晩で読めた。

 ちなみに、岡田氏の別の著作『パンデミック』についてはまた稿を改めて。 (管理人はここ2年くらい新型インフルエンザ関連の本読んだりしてるけど、我が家のグランマくらいだと、フツーに風邪とインフルエンザの区別がついてないし。)

 岡田氏は国立感染病研究所の研究員であったヒト。岡田氏の著作や言動については「ウィルス学的観点からは正しいが、疫学的観点から見ると必ずしも適当とは言えない」という批判があるようだ。(そのあたりの判断は難しい。)
 原子力政策もそうだが、この手の話は一般人は判断することが極めて難しい。従って、そうした立場にいる人たちは自らの職業倫理に照らし合わせて、ある程度責任を持った行動が望ましい。
 (疫学的な観点から…ならば、そういう意見もあることをメディアはきちんと採り上げた方が良いだろうと思う)

 さて、のっけから脱線してしまったが、本書は世界史の中で大規模な感染症が与えた影響というものを考察したものである。採り上げられる病気はハンセン病、ペスト、梅毒、結核、インフルエンザ。そして検疫制度の確立を含める公衆衛生の発達が主な内容である。
 さらに、あとがきで述べられているように新型インフルエンザの危険性を切々と訴える別の論文が付け足しされて、今読むとなかなかタイムリーな感じだ。

 このなかで、記録が残る世界史的な大規模に流行した感染症黒死病とも呼ばれたペストであろう。「ユスティニアヌスの疫病」と呼ばれたペストはエジプトからイスタンブールを経て忽ちのうちにヨーロッパ中に広まってしまった。

 「Dark Middle Age(暗黒の中世)」と呼ばれるように西ヨーロッパでは中世にはいると経済が単純再生産になり、社会全体が停滞するような状況になった。さらに、当時の生活環境も劣悪なもので、たとえば、「上下水道の整備など無く、習慣として生ゴミも自らの排泄物も街頭に投げ捨て、運河に垂れ流した」とあるように、公衆衛生の概念がまだ無い当時においては、ペストが流行するだけの条件は全て満たされていたとも言えるのだ。

 このようなペストはキリスト教会の権威の失墜を招く。すでに人口密集していた都市において、その被害は甚大なものであったが、農村においても、都市からの流入者によって、ペストが蔓延した。さらに農村は閉鎖的な社会であったから、一度農村にペストが蔓延すると、村が全滅することはほぼ不可避である。「ペストはいかなる宗教儀式によってもその流行を止めることは出来はしない。まして聖職者も逃げたり死んだりする中で、キリスト教への不信が起こるのは当然のことであった」。この観点から見ると、ペストの流行に伴うキリスト教カトリック)の権威失墜は後の時代の宗教改革の遠因になるというのである。

 ペストの流行によって、ヨーロッパでは生産人口の減少に伴う食糧の不足から物価は高騰し、さらに、人口の激減から超過供給となり、物価は下落した。さらに生産人口の減少は賃金の高騰を招き、高賃金の誘惑に負けた多くの農奴が自らの耕作地から逃げ出して都市へと流入するから、荘園制、ひいては封建制そのものが崩壊するきっかけを作ることになるのであった。

 この他にも、梅毒が性に寛容であった当時の中世、とりわけ上流階級で流行することで、梅毒は「文化の華」のように受け止められる風潮があったらしい。実際に梅毒にかかると、その苦しみは想像を絶するものがあるようだが、多くの芸術家や詩人たちが梅毒に冒されている。(例えばシューベルトニーチェなど)

 産業革命が勃興すると流行する感染症結核が挙げられる。結核菌は感染力が弱く増殖も遅いため症状が現れにくいが、一度感染してしまうと、数十年、患者の体内に潜伏し続け、他の病気や老齢などの影響で患者の抵抗力が弱まれば、結核病として症状が現れるものなのだという。
 そうした結核が流行した原因に、産業革命による労働者の悲惨な労働環境があったことは当然だろう。薄汚く、密閉された劣悪な労働条件の中で、長時間、低賃金で働かされる労働者は、その多くが結核に感染した。5歳まで生きられない子どもたちが労働者階級で半数を超え、都市労働者階級の平均年齢は 15歳という驚くべき数字に、エンゲルスが「社会的殺人」と指摘し、のちに首相にまで上り詰めるディズレーリは「2つの国民」と形容せざるを得なかった。
 こうした劣悪な労働条件が、多くの結核患者を産んでいる状況から、イギリス政府はようやく公衆衛生に取り組むことになる。公衆便所の整備やゴミの収集、工場法による労働条件の改善など、いまとなってはごくごく当たり前のことを、この頃からようやく実行していくことになるのだ。

 このように、今まで世界史の中で見過ごされてきた、感染症や公衆衛生の観点からの時代変化というものに焦点を当てた本作は、読み物としてなかなか面白いと言える。
 ただし、本書最終章で述べられる「未来の感染症」として採り上げられる新型インフルエンザの脅威については、(繰り返しになるが)ほかの論文を付け足した代物であるために、著作全体の構成からすると「浮いている」感じになるのは否めない。
 そのことを差し引いた上で、今日迫りつつある、パンデミックの危機に対する自覚を促すという意味においては、本書は世界史的に人類は感染症に対してどのように接してきたのか、という教訓を引き出しうる一冊であるだろう。