あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

グラン・トリノみた

 週末見た映画の話。
 このところ、ヤッターマンレッドクリフ2、そしてグラン・トリノと、「2009年は月イチで映画を映画館で観る」を5ヶ月連続更新できている。良い傾向だ。(クラシックも定期会員だから、月イチでコンサートいけているし)
 あとは、美術館や芝居を1シーズンないしは2ヶ月に1回くらいの割合で行ければいいとは思う。果てさて…。

 監督ならびに主演はご存じクリント・イーストウッド。まわりから聞いた話によると、これで俳優としては打ち止めらしい。(パンフ買わなかったから、そのあたりの事情が良く分からないんだけれど)

 イーストウッドが演じるウォルト・コワルスキーは息子たちが評するようにまだ70年代だと思っている、頑固で皮肉屋の煮ても焼いても食えないような人物。それでもって白人至上主義的なところがあって、中盤くらいまでこの御仁が苦虫を噛み潰したよう発するセリフは、放送禁止用語のオンパレードだ。
 イタ公、酔っぱらいのアイルランド人、黒んぼ、イエロー、米食い野郎。黒んぼって、ニガーどころじゃなくて、クーンだし。イエローも、イエローって言ってないでしょ、多分。同じ白人にも容赦なく、進学校上がりの童貞神父、みたいな辛辣さだ。
 それもそのはずで、ウォルトはフォードの機械工を40年、乗ってるクルマは当然フォード。そして朝鮮戦争に従軍した経歴を持つ。まさに「旧き良きアメリカ」の体現者なのである。

 この映画は妻の葬式から話が始まるけれど、そんな人物なので息子や孫たちからも厄介がられているし、本人も意に介さない。むしろ、「ビッチ」の対象だ。そして最後までよりが戻らない。代わりに、ウォルトがその偏屈な心を徐々に開いていくのが隣に引っ越してきたモン族の子どもたちと心を通わせる。

 ラストはネタバレしすぎるからこれ以上書かないけど、なんなんだろうね。いろんな要素が絡んでいると思うけど。心を通わせたのは家族でなくて赤の他人だった、ということもあるだろう。そして、その友人は白人ではなく、米食い野郎といって蔑視していたモン族の若者たちだった、というのもあるだろう。
 ヒトを傷つけることの意味、それを背負い続けることの重さ。一番傷つける相手は実は自分たちと同じ人種でもあるという皮肉。そんな「旧さ」と「新しさ」が幾重にも交叉して、ストーリーとしては良くある話ながらも、そこに深みを与えているあたりがさすがだと言える。

 コレは余談だけど、タイトルにもなった「グラン・トリノ」はリッター1.5km。まさに、「旧き良きアメリカ」のシンボルだね。

 ほろ苦いブラックコーヒーのような、ウィスキーのハイボールのような、そんな余韻の残る映画だった。