あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

「戦争体験」の戦後史  世代・教養・イデオロギー 福間良明 著

 アジア・太平洋戦争下、三〇〇万人以上の多くの犠牲者を出した日本。この「戦争体験」は、悲劇として語られ、現在では反戦・平和と結びつくことが多い。だが、戦後六〇年のなかでそれは、実は様々な形で語られてきた。本書は、学徒兵たちへの評価を中心に、「戦争体験」が、世代・教養・イデオロギーによって、どのように記憶され、語られ、利用されてきたかを辿り、あの戦争に対する日本人の複雑な思いの変遷をみる。

 学徒出陣を余儀なくされた学生たちの手記である『きけ わだつみのこえ』をAmazonで検索をかけると、多くのレビューを読むことが出来る。無謀な戦争と分かりながら、自らはそこに身を置かざるを得なかった未来ある若者のモノローグに多くの人が涙し、平和への思いを強くしているようだ。
 ただ、その一方で『きけ わだつみのこえ』を編集している「わだつみ会」内部のイデオロギー対立から彼ら学徒兵の声が意図的に編集されている、という批判があることを指摘するものもいる。そういう人が典拠とするのが保坂正康の『「きけわだつみのこえ」の戦後史』である。そこでの議論は編集方針を巡る争いは「進歩的知識人」たちによる権力闘争であった、という批判である。ただし、注意しなければならないのは編集方針を巡る争いといっても、それは文章の改竄ではなく資料の取捨選択という観点においてである。
 ゆえに『きけ わだつみのこえ』は戦場に散った多く学徒兵の言葉を、自らのイデオロギーのため意図的に利用していて許し難い、という議論になる。

 そうした議論があるのは管理人としても承知なのだが、今ひとつ、自分自身としては違和感がかなり強かった。なぜならあの戦争をイデオロギー対立や権力闘争のような次元で扱うシニカルな視点は、一見すると自らは価値自由であるかのような立場で語っているが、「戦争をどう捉えていくか」という戦争体験者にとっての大問題について、あまりに無理解なような気がしていたからだ。(それは管理人が生まれてこの方ずっと祖母と同居している分、そうした面にことさら反応しているのかもしれないが…)

 本書では『きけ わだつみのこえ』を巡る様々な言説と、わだつみ会内部での言説を追うことによって、そうした内部対立の原因が政治路線を巡る対立ではなく(いや、そういった面が全くなかったかと言えば否定はしないが)、それ以上に彼らにとって譲れない一線が「自らの戦争体験がいかに語りうるor語り得ないのか」というところあることを明らかにしている。少なくとも管理人は自らの興味関心に照らし合わせて本書をそう読み込んだ。