あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

日本国憲法の誕生 PART2

日本国憲法の誕生 (岩波現代文庫)

日本国憲法の誕生 (岩波現代文庫)

さて、前回の続き。というか、最近読んだ本、これでupしきった。
GW明けてからはどーいうわけか本を読むまとまった時間がない。マンガの感想とかなら書けるけどなぁ…。

 従来,憲法九条の発案者が誰であるかについては,幣原喜重郎説,吉田茂説,マッカーサー説が存在していましたが,本書では2月13日にGHQ案が日本政府に渡され,2月19日に閣議で報告された過程を『芦田日記』でたどりつつ,戦争放棄条項の提唱者がマッカーサーに他ならないことを明らかにするのです.角度を変えてみれば,この2月から3月初め(政府は6日に憲法改正草案要綱を発表)にGHQはなぜ憲法改正を急いだのかが重要な意味を持っていることを著者は示唆しているのが,本書のポイントです.すなわち,まさにこの時期に天皇の退位問題が焦点となってくる中で(2月27日にも読売報知で報道),マッカーサー天皇の戦争責任の免責のためにも憲法改正草案要綱を一日も早く発表すること,そこに昭和天皇が主体的に関わったということを国外にも明らかにする必要があったということを重視しているのです.
 それゆえに3月6日に天皇が発出した憲法改正勅語には,不自然な突貫作業の痕跡が残されていました(V章,VI章).もっとも,日本側は唯々諾々とGHQ案を丸呑みしたわけではなく,佐藤功が孤軍奮闘してGHQ案の日本化に半ば成功します.この過程でGHQ案に表現されていた改革が骨抜きにされ,「きわめて法技術的な面でぎりぎりの,保守体制に有利な,あるいは日本の法伝統に整合するような抵抗を試みた」のでした(VII章)

 ただ、確かに本書ではマッカーサー発案による戦争放棄がもっとも妥当である、と結論づけているが、イニシアティヴを持ったとしても、それが当然のように受け入れられる世論というか、時代の雰囲気があったのは間違いないだろう。いわば「時代精神」というヤツではないか?沖縄を失い、主要都市は一面焼け野原になり、ヒロシマナガサキ原子爆弾が落とされたこの当時の日本では未だ戦争の傷跡が生々しく残り、戦争の放棄に対して声高に異を唱えるような人間はいなかったのではないだろうか。
 ただし、注意しなければならないのは、戦争放棄は沖縄の軍事基地化とセットの関係にあったことだ。武装解除された本土と、軍事要塞化し、米軍が駐留する沖縄の、この関係がマッカーサーの思い描いた戦後のパワーバランスだったのである。
 もっとも、マッカーサーのリアリズム的なパワーポリティクス観に基づいた沖縄とセットの本土の非武装化としての9条は、保革の対立と共に変容していく。だけど、それは戦後の日本政治史の話になるから、ここではこれ以上は扱わない。

 一方,マッカーサー日本国憲法への肩入れは本国政府・極東委員会との間で極めて大きな軋轢を生じさせたが,仲介者コールグローブの存在もあり,マッカーサーは危機を乗り切ります(VIII章).さて,日本国内でもGHQに「押しつけられた」憲法として,最後の帝国議会である第九○帝国議会の審議の中で,多様な角度から批判を浴びていくが,吉田内閣はこの憲法によって天皇制が護持されたことを自覚し,この憲法の理念を守るために奮戦していくのです.また「芦田修正」の真相についても本書は解明を試みています(IX章,X章).
 最後の三章は憲法制定後の状況を素描した内容になっています.

 芦田修正の真相についてはいろいろあったが、イニシアティヴは当時の法制官僚の一部と、法制官僚出身の金森徳治郎が「将来の可能性」として「前項の目的を達するため」という条文を入れたようだ。そして、その「可能性」に気づいたのが対日理事会の中国代表だったというのも当時の緊張感あるやりとりを感じさせる。
 だから、戦争を放棄し、軍隊がないハズの日本国憲法体制なのに「国務大臣文民規定」が存在する。
 また、憲法制定後も吉田茂は大逆罪の温存をGHQに働きかけたり、基本的に当時の政府関係者の思考は大日本帝国憲法体制からドラスティックに変わるわけではなかった。その意味で、彼らの思想と行動は一貫したモノになっている。

 「憲法改正のための国民投票法」が成立し、憲法改正の手段は整備された。だが、相変わらず程度の低い押しつけ憲法論が跋扈する昨今の政治状況にあって、憲法改正前後の、日本国憲法の成立に携わったさまざまな人々の思惑や行動を知る事の出来る本書はきわめて重要な位置を占めることは間違いない。そうした文脈を踏まえた上で、「日本国憲法とは何か」という自分なりの憲法像を作ることは大切だろうと思う。