ボッセ代役の実力は? 東京都交響楽団 第682回定期演奏会
6月18日 会場:東京文化会館
指揮:ミラン・トゥルコヴィッチ
ピアノ:アンティ・シーララ
ハイドン:交響曲第13番 ニ長調 Hob.I.13
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466
ハイドン:交響曲第103番「太鼓連打」 変ホ長調 Hob.I.103
今月の演奏会で都響の定期は当分休み。次は9月になる。意外と時間がとれそうな7月8月はきっと何にもないんだろうなぁ。
さて、本来はこの演奏会を指揮するはずだったボッセが降板した(ケガしたって言うのはホント?)ため、アーノンクールとも共演している(らしい)トゥルコヴィッチ。ファゴットの名手としてスゲーCD出している。
室内楽メンバーとして場数も踏んでいるだろうから、当然、今回のようなハイドンなんて得意中の得意なんだろうなぁ…と思って出かけてみた。
この日のハイドンは13番、103番ともに、非凡な演奏だった。いや、非凡なんて言葉で片付けちゃいけないな。とりわけ103番は名演である。
とかくベートーヴェンの初期の交響曲以前、つまりはモーツァルトやハイドンの演奏は小さな編成で、室内楽的にスケールも小さく、みたいな演奏ばっかり聴かされるんだけれど、今回の演奏は、「古典派はかくあるべし」という指揮者の定見がハッキリと認められるような演奏。確かに1stヴァイオリンに16人…みたいなコトはないんだけれど、でも10人ちょっとはいた感じだった。
引き締まったテンポと、それでいながら緩急織り交ぜた演奏。さらに、アンサンブルとダイナミズムを都響の弦楽セクションに徹底させているから、ハイドンの質実剛健さが本当に伝わってくる。コレは凄いことだと思う。
こーいう演奏が増えれば、最近はプログラムにめっきりと載らなくなったといわれるハイドンも復権するに違いない。
非常な名演であったハイドンに比べるとモーツァルトのピアノ協奏曲はイマイチだった。恐らく、その原因はシーララのピアノにある。残念ながら。
テクニックもあって、シーララは悪いピアニストじゃないとは思うんだけど、一言で言っちゃうとモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏するには詩情が足りないのだ。確かにピアノは弾いているんだけれど、そこで止まっちゃう感じ。
取り立ててテクニックを表現するような曲ではない20番において、「モーツァルトニ短調協奏曲」をどう捌くか、という点において、イマイチな印象。
シーララが大したモンだと思ったのはアンコールで弾いたショパンのマズルカop.50-2。
硬質な響きと、端正なピアニズムはショパンにうってつけである。だからこれがショパンのピアノ協奏曲だったら大成功だったろう。それを考えるとモーツァルトをちゃんと弾くというのは難しいんだろうなぁ。
ともあれ、ボッセ翁には元気になって、来年リベンジをして貰うとして、トゥルコヴィッチは今後、都響に定期的に客演してほかの古典派作品を演奏して欲しいところだ。