あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

ヒロシマのデルタに 青葉したたれ

 タモガミが「広島の平和を疑う!」という講演を今日の夜に原爆ドーム近くのホテルでやったらしい。
 よりによって、8/6に広島でやるその思考回路は常人には理解不能だ。

田母神氏が広島で講演 「被爆国として核武装すべき」
2009/08/06 19:58 【共同通信
 原爆の日の6日、政府見解の歴史認識を否定する論文を公表して更迭された田母神俊雄航空幕僚長広島市で講演し、「唯一の被爆国として、3度目の核攻撃を受けないために核武装すべきだ」と主張した。

 日本会議広島が主催し、演題は「ヒロシマの平和を疑う」。参加者は講演に先立ち君が代を斉唱し、黙とうした。

 田母神氏は「2020年までの核兵器廃絶は夢物語」と、秋葉忠利広島市長の平和宣言を批判。「核保有国同士は相手からの報復を恐れるため、先制攻撃は絶対にしない。国を守るため、日本も核兵器を持つべきだ」と持論を展開した。

 秋葉市長は6月に「被爆者や遺族の悲しみを増す結果になりかねない」として、日程の変更を要請。県内の被爆者7団体も7月、連名で抗議文を送ったが、田母神氏や主催者は「表現の自由だ」などと応じなかった。

 会場周辺では、田母神氏の主張に反対する横断幕を掲げ、シュプレヒコールを上げる団体と、右翼の街宣車が言い争う一幕もあった。

 思想信条の自由や表現の自由が「今の日本国憲法の体制では」保障されている。したがって、核武装そのものの議論を封じることは出来ない。ただ、ヒバクシャの心の傷に塩を塗るような行為(わざわざ8/6にヒロシマで行うという行為)が良くできるモノだとおもう。理屈じゃ割り切れない心情をとりわけ「保守」と呼ばれる方々は尊重するモノだとばかり思っていた。とはいえ、本当の保守の方々は、はたはた迷惑しているのだろうとも思うが。
 表現の自由はおろか思想信条さえ充分に保障されていなかった大日本帝国憲法下の日本でこそ戦争は勃発し、ヒロシマナガサキに原爆は投下された。当時、広島の人口は35万人。そのうち15万人が1945年の12月までに亡くなったという。

 戦後の平和運動やら日本国憲法の体制では、未だに日本国内では戦死者は出ていない。このことの意味を航空幕僚長を務めた人物が当然考慮に入れないはずはないと個人的には信じたい。まさか、ね。
 どーでもいい、補足として付け加えると、タモガミは幸福実現党大川総裁夫人と対談している↓
産経新聞 田母神氏と幸福実現党の大川総裁夫人の対談

 広島の平和ってなんだろうか。原民喜の『原爆小景』から詩を拾ってみる。
 (なお、原民喜は没後50年以上経っているため著作権は失効している)

「コレガ人間ナノデス」

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス

 人間が人間でなくなった。だから「コレガ人間ナノデス」と言わざるを得なかった。 ヒバクシャの苦しみは本当に言語を絶したモノだったのだろう。
 そうした苦しみを、これ以上、他の誰かに体験させてはならない。最初で最後のヒバクシャでありたい。という思いから(時に党派的な対立もあったのは事実だが)、戦後の原水爆禁止運動をヒロシマナガサキは中核となって続けてきた。

 『原爆小景』は9つの詩から成り立っている。
 その1つを除いてが、先に挙げたように、カタカナによる表現だ。

 けれど、最後の「永遠のみどり」という詩だけは、ひらがなによる。
 ヒロシマのデルタは元安川の作った三角州。ちょうどこの真上が爆心である。(原爆ドームはここの川岸にある)

 果たして疑うような平和の祈りなのだろうか?

「永遠のみどり」

ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ

死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ

とはのみどりを
とはのみどりを

ヒロシマのデルタに
青葉したたれ