あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

総選挙雑感。

  • その1 投票先の収斂

 ここ数回の衆参両議院選挙から判断すると、一般有権者の投票行動が、どんどん2大政党に収斂してる。
 小選挙区死票の関係から2大政党へと投票が集中するのはやむを得ないとしても、比例代表をそれ以外の政党に…という戦略的投票行動には結びつかなくなってきているようだ。
 これは政治的多元主義の観点からすれば、望ましいとは言えない。なぜなら議会という公開の場に多様な価値観の表出があってこそ、議会制民主政治の役割(の一つが少なくとも)があるわけで、収斂し過ぎは一種の機能不全に陥る恐れがある。(民意の集約機能が上手く働かないと、そもそも参加せずに非合法な活動へと向かいかねない)

  • その2 民主大勝の構造的背景。

 「1選挙区につき1人当選」という小選挙区制度は、その時々の政治状況によって一つの政党がオセロゲームのように大勝する展開になる。カナダでもかつて、150議席前後あったものが2議席にまで減少したという事例もある。
 今回の選挙も郵政選挙の裏返しみたいなトコロがあって、そのときどきの「民意の風」が小選挙区制という選挙制度のもとで(倍加ではなく)「累乗」になる。同じ小選挙区制でも政党組織が強固なアメリカみたいな展開にはならない…。それを明らかなマイナスだと指摘するのは、ジェラルド・カーティスの指摘になる。もっとも、有権者としても、この振り幅の異常さを認識すれば多少は変わるのかもしれないが。まだ、発展途上ではある。
 その話の延長上なんだけれど、中選挙区制に戻せ、みたいな議論はあるが、政治学的に中選挙区制度の最大の問題点は「同士討ちが始まる」ということだ。つまり、政権獲得のために過半数獲得を目指す政党は、中選挙区制のもとでは複数の候補者を擁立せざるを得ない。その場合、1つの選挙区で競合する同じ政党の候補者たちは、政策本意よりも人物本位の選挙を行う。これが自民党のかつての派閥政治を招いたのであり、金権選挙の構造的背景にもなったのだ。
 だから、中選挙区制復活の議論は管理人としてはかなり怪しいと思ってみている。

  • その3 今回の選挙に意義

 いろいろ言われているけど、1つ挙げるとすれば、政権交代によって、「サヨク愛国者なりうる」という当たり前の事実が現実化したと言うことだ。ウラを返せば、愛国者は単なるネット右翼になったということか。
 本来ならば、左右の思想的な対立軸と愛国心は無関係であるハズだ。それが保守の専売特許になってしまったのは55年体制によって自民党の長期一党支配によって「保守=日本=愛国」の図式が固定化された為である。
 今回の選挙結果で、そうした図式に変化が生ずることが期待できそうだということ。つまり今までの、「野党=反権力=売国奴」的な2ちゃんねるニコニコ動画の図式が通用しなくなるのは大きい。

  • その4 懸念。

 政権交代ドラえもんの四次元ポケットと国民が勘違いしないこと。期待が高いと失望も高まる。失望は自民への支持に回帰するかもしれないが、歴史の教訓は政治不信やシニシズムからはファシズムを産みやすい。僕らはそこに気をつけなくちゃいけない。
 そして、だれもかれもがハッピーになるということはあり得ないと言うことだ。限られた国家財政のもとで、どこに優先順位を付けるのか? 今までの自民党政治は、その優先順位が間違っていたんじゃないか、という認識があったからこそ、今回の民主大勝に繋がったとも見ることが出来るだろう。

 とりあえず、そんなところで。