あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

ようやく観た「サマーウォーズ」

 もういい加減、サマーも終わって、この映画に対する需要はなくなっているだろうと思って、なんの準備もナシに行ったのが失敗。ほぼ満席で、前から二列目しか残ってないという有様だった。なので、ただ観ていただけなのに異常に疲れた、というのが、第一声(笑い)。

 信頼している友人・知人・ブロガーのみなさんが褒めるモンだから、凄いのだろうな、と思って期待していたけど、結論から言えば、その期待は裏切られなかった。進めてくれたみなさんに感謝。

 キレイに文章にするヒトがいるけれど、管理人は気づいたことをメモ程度に書いておく。

・リアルな世界とweb上のヴァーチャルな世界があって、この映画では高度に発達したweb上の世界(「oz」の世界)が現実社会にも影響を与えている、というかリアルな世界を浸食している。だから、リアルな世界での危機が、ヴァーチャルな世界で起こっているという、「リアル」の倒錯が起こっているわけだ。
 それが倒錯が際だつ描写が、リアルな世界では親戚の子どもが高校野球の県大会決勝戦を戦っているあたりだろう。ozの機能不全によって現実社会が大混乱をしていて、原発の上に人工衛星が落下するにも関わらず、長野県大会の決勝を行っているというシュールさ。

・ヴァーチャル空間の「OZ」はコンピュータ言語か何かを表しているのか、それとも、オズの魔法使いから影響を受けているのか…。(他のサイトで指摘されていたけれど、主人公が意図せずに異世界に影響を与えているというのは、確かにそうかも)

・都会と対比される田舎(地方)というのは、一つ設定としてあるのだろう。一般的に田舎には「じいちゃん・ばあちゃん」がいて、親戚が集まる。管理人も曾祖母が地方にいたから、何となく分かるが、お盆の頃になるとホントに人々が集まる。大皿に盛られたトウモロコシの量に驚いた記憶があるし。

・その田舎には「面倒くささ」と「温かさ」が並存している。めんどくさいところは、ハッキリ言えばデリカシーに欠けるというところ。非常に内向きで排他的だというところだろうか。温かさはまさにその裏返しである。

・そして、その親類とか大家族というのは、世代交代を繰り返しながら絶えず再生されていくのだろう。だから、話の途中でサカエが他界するが、それは佳主馬に妹が生まれるという命の誕生とある意味で対になっている。

・サカエの夫の妾の隠し子(まどろこしい)だった侘助にとっても、サカエの他界は彼自身が独り立ちするために必要だったきっかけであり、通過儀礼でもあったのだろう。家族がテーマである以上、自分より世代が上である祖父母や父母の他界は避けられない。

・家族がテーマのこの作品、なので人間関係は夏希の親戚である陣内一族と健二と高校の友人の佐久間くんとで話が展開される。ozでのヴァーチャルな空間が国境をも越えた人々とのつながりを可能にする手段でもあるとすれば、さまざまな人々との「連帯」がもっと出てきてもおかしくないけど、そーなると逆に家族の絆というテーマが後退するから、しょうがないんだろうな。

・もっとも、そんなことを言いつつもさいごの最後で、ヴァーチャル空間の連帯が世界規模でなされるんだけど。

花札は、家族の絆のシンボルなんでしょ。だけど、管理人はもっと花札を勉強しようと思いました。

 ともあれ、「やればできる」のだ。