あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

大内伸哉『雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs.労働者の論理』(ちくま新書)

 著者は神戸大学大学院法学研究所教授。
 年功序列労働組合、派遣労働、サービス残業etc.…雇用をめぐるさまざまな問題を「会社の論理」と「労働者の論理」という根本的なロジックの違いによって説明する。
 著者によると高度経済成長期はこの対立するハズの労使関係が対立しなかった例外的な時代であった、ということである。よくある議論をざっと分類した感じで読みやすい。この手の問題に詳しいヒトにはデジャヴ感が強いと思う。
 
 「労働者と企業との関係はなぜこじれているの?」という基本的なことが分からない人には本書はまさに最初に読むにふさわしい本だと言えよう。

 以下、個人的なメモ。

  • 職場は男の世界

 かつては男女コース別の雇用制があって、仕事内容も女性は男の補助的なもの、賃金も当然男性のそれに比べると低かった。もっとも、女性たちは結婚すると「寿退社」してしまうので、それで満足していた側面がある。つまるところ、当時の働く女性も(働かない女性と同じく)専業主婦予備軍であることには変わりなかったのだ。
 それが女性の大学進学率も上昇→高学歴女性が増えると、男並みに働きたいと希望する女性が出てくるのは当然である。それが1960年代のアメリカから世界中に広まった「ウーマン・リブ運動」に繋がるのである。
 ただし、会社側にしてみれば男女差別の合理的な理由が存在するとも言える。相変わらず統計的に男性よりも女性の方が離職率が高い。従って、女性に将来の管理職を期待して会社内での職業訓練をしても無駄に終わってしまう可能性がある。だとしたら、最初から女性には重要な仕事を与えない、というインセンティヴが働いてしまうのである。

  • 仕事と余暇

 日本は祝日が多い。日曜以外の休日は16日ある。これはイタリアの11日よりも多い。しかし、イタリアは年次有給休暇は通常4週間存在し、きっちりと取得する。
 ちなみに労働基準法に照らし合わせれば、週に1日の休日を労働者に対して与えればいいので祝日を休日にする必要はないと言うことになる。
 だが、日本人に多いのは残業の多さである。
 会社側にしてみれば長時間労働されて、賃金を多く支払うのは避けたい。一方の労働者も所定時間内に仕事が終わるに越したことがない。本来であれば、これで労働時間内に仕事は終わるはずであるが、実際には多くの労働者が「サービス残業」(もちろん、労働基準法違反)をしている。それは会社側が適切な労働者の適切な仕事量を把握できていないからだ、という指摘を労働者側から受けることになる。
 では、そのような状況を改善するには残業代の割増率を引き上げれば残業は減少するのだろうか、といえば、残念ながら必ずしもそうとは言えない。なぜなら、残業代の割増率を上げると従業員に長時間労働への誘惑を与える可能性があるのである。

  • 生活者の論理と労働者の論理

 日本人の労働時間の長さは、企業と従業員の関係だけで決まるとは限らない。その他にも生活者の利便性の要求との兼ね合いから労働時間が延びているという側面もあるだろう。(スーパーやレストランの長時間営業や年中無休など)

 フリーマンとメドフによる「退出・発言理論」によれば会社に不満があるとき、それを伝える手段がない場合、労働者は辞職してしまう可能性がある。組合はその時に、不満を伝えるためのツールとして機能する。その結果、離職率が下がり生産性は向上する。その点に注目すると、労働組合は必ずしも経営者側と対決姿勢をとることはなくなる。大事なのはコミュニケーション機能なのだから。
 だが、戦わない労働組合は会社にとって都合が良いが、従業員にとって譲れない一線において妥協してしまうような労働組合は従業員にとっては不都合である。しかし、労働組合の組織率が下がっている今、組合の再生は容易なことではないだろう。

  • 解雇規制は誰の利益になる?

 経済学者の大竹文雄によれば雇用規制が強化されると、企業は柔軟な経営が出来なくなり、かえって新規雇用に消極的になり、非正規社員は増え、正規社員も好況時には残業を、不況時には時短による労働調性を行うから、結局のところ労働者の利益にはならないという。
 日本の解雇規制は世界的に比較して厳しいか緩いか、というのは必ずしもハッキリとはしないらしい。黒田祥子の論文によれば欧州並みに規制の厳しさがある、ということらしい。

 『日本労働研究雑誌』平成19年12月号での太田・玄田・近藤の論文によると、学校卒業時に就職状況が悪かったものはそうでない時期に就職したものよりも低賃金、不安定就業の割合が高い。(特に高卒に顕著)
 ユゴーの「レ・ミゼラブル」のミゼラブル(miserable)は「哀れな人」という意味である。(今村仁司は「人間の屑」と当てたらしい)
 「ロスジェネ」が経済不況の影響によるものであれば、それは一種の運・不運であり、そこまで自己責任論で片付けるには乱暴である。このような状況では赤木智弘の「希望は戦争」論文のように社会構造そのものの大変革を望むものも出てくるだろう。だとすれば、好況時に条件の良い就職をなしえたものが、そうでないものに対して(政府を通じてで良いだろうから)何らかの積極的な政策をするのは、彼ら自身にとっても、また、自分たちにとってもメリットのあることなのである。