あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

東京都交響楽団 第685回定期演奏会

2009年9月30日(水)19:00開演(18:20開場) 東京文化会館

ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
ストラヴィンスキーバレエ音楽「カルタ遊び」
ストラヴィンスキー:バレエ組曲火の鳥」(1945年版)

指揮:アンドリュー・リットン
ピアノ:パウル・バドゥラ=スコダ


 7月8月と定期演奏会がなかったので久々の都響定期。
 今回は四方さんのソロ・コンサートマスター就任記念でもある。四方さん、女性だけど「コンサートマスター」なのかなぁ…。てっきり女性の場合は「コンサートミストレス」って言うのかと思っていたら、最近は男女に関係なくコンマスって言うみたいですね。(wikipedia情報)

 さて、サーカスポルカは5分に満たない小品。これはストラヴィンスキー新古典主義化したあとの作品なんだけれど、今回のストラヴィンスキーの3曲を聴くと、個人的には春の祭典を筆頭に3大バレエ曲が傑作なような気がしてならない。若い頃のこれらの曲を結局越えられなかったというか、管理人自身は、ストラヴィンスキーの熱心な聴き手じゃないから、そのあたり突っ込まれると苦しいんだけれど、逆に言えば、この3曲くらいしか繰り返し聴こうというような気持ちになかなかなれない。
 もうちょっと体系的にストラヴィンスキー聴いてみようかなぁ…。
 
今回の聴きどころはピアノのパウル・バドゥラ=スコダにあるのではないだろうか。グルダ、デームズ、バドゥラ=スコダがウィーン三羽烏だというが、他界してしまったグルダを除く2人はコレで聴くことが出来たというわけだ。とはいえ、バドゥラ=スコダ御年82歳。ところどころミスタッチがあって、歳の老いを感じさせた。
 とはいえ、背筋は伸びていたし、歩き方も矍鑠としていた。だから管理人の気がかりだったところは「哀しみは疾走する」モーツァルトアレグロに果たして充分ついていけたのかなぁ…というあたり。もうちょい若ければ凄かったんだろうなぁ…。

 ところでバドゥラ=スコダはエドウィン・フィッシャーの弟子らしく、確かにフィッシャーのピアニズムを継いでいるな、と思わせる、端正な精神美だ。バックハウスのような技巧やスケール、ケンプのような包容力とは異なるから、その意味で彼の演奏は好みはあるだろう。しかしながら「ピアノはかく弾かれるべし」という自身の確固たる姿勢が窺われる演奏なのだ。
 ミスタッチが散見された、とはいえ、コルトーの戦後の録音もミスタッチだらけだし、「にも関わらず」名演なのだから、(技術が伴うに越したことはないのだけれど)それだけを持って殊更非難するにはあたらないだろう。それを考えると、ロマン派以降の作品と違って、ピアニストの技量そのものが問われるモーツァルトで、説得力ある演奏をするピアニストは非常に稀なんだろうなぁ…と思わせられる。今回のバドゥラ=スコダの演奏を聴くと、ピアニストにとって「自分の音」を持つというのは凄いんだな、としみじみと感じられた。

 全然コメントしなかったけれど、リットンは非常に好サポート。火の鳥も奇を衒うことなく、堂々として誠に気持ちの良い演奏だった。ほかの曲も振って欲しい。

モーツァルト:ピアノ協奏曲集

モーツァルト:ピアノ協奏曲集