あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

インバルのブル5@東京都交響楽団 第689回定期演奏会

東京都交響楽団 第689回定期演奏会
2009年11月24日 会場:東京文化会館

ブルックナー交響曲第5番 変ロ長調

指揮:エリアフ・インバル

 「待望の」という言葉をつければいいのか、今回の演奏会はインバルによるブルックナー、それも第5番である。金子健志が指摘するように、ブルックナーの作品の中でも3番以前と5番は演奏が難しい。5番はロマン派的な表現がなく、初期の作品同様にバロック的な要素が盛りだくさんな曲だけに、指揮者にブルックナー演奏の適性があるかどうか推し量るにはピッタリの曲になるのだ。
 インバルはブルックナー交響曲を録音しているから、本人の中ではやりにくい曲ではないのだろうと思う。ただし、管理人自身のインバルに対するイメージはやはり「マーラー指揮者・インバル」なので、5番をどのように演奏するか興味があった。

 結論から言ってしまえば、インバルにしてはよくガマンして5番を演奏したな、という印象をうけた(笑い)。インバルのマーラーは、作品に内在する凸凹をあえてむしろ抉り出すように演奏するところがあって、今年に聞いたベートーヴェンの英雄でもそうした傾向があった。なので、今回のブルックナーは果たしてどうなのだろうか、という懸念が若干あった。
 けれど、そうした側面はあまり目立たず、むしろオケを精一杯ならしながら、5番という作品に内在する対位法的な音楽の大伽藍を表現しようとした、といっていいと思う。文化会館は鳴り自体は悪くないホールだけれど、豊かな残響ではないから、ブルックナーには正直キツいところがあると思う。だから、そうした印象を与えなかったのはさすがだ。

 演奏そのものも、インバルにしてはオーソドックス。ところどころ強調したいところがあるらしく、ボウイングやテンポを変えるところがあったけれど、そこまで作為的ではなかった。それでいえば、スクロヴァチェフスキの方が作為的である。
 ただ、評価が難しいのだけれど、それでいながら「どちらの方がブルックナーを聴いたエクスタシーを感じるか」といえば、やはりスクロヴァチェフスキなのである。そのへんが演奏の難しさ、なのだろうか。

 その違いはどのあたりに起因するのだろうか、ということを帰りの電車内で考えてみたけれど、どうもそれはマーラー的な視点でブルックナーを見ているせいではないのだろうか、なんて勝手に結論づいた。2楽章のテンポは速くて、ピチカートがまるで木魚のようだった、というのは言い過ぎかもしれない。けれど、そういう印象を受けたのはテンポだけではなくて、他の要素、恐らくは、他の曲よりも5番はメトリークが大事になってくるから、そう感じたのだと思う。
 だからブルックナーの曲では必要に繰り返されるモチーフでも、そこから形成される全体の構造を損なわないように演奏上の処理しないとマズいのかもしれない。その意味で「ガマン」が必要な曲なんだと思う。

 ともあれ、倍管にしたオケの鳴りっぷりは凄まじく、終楽章のコラールの迫力は感動的だった。(ところで今回はフルートの旋律が良く聞こえたけれど、あれは原典通りなのか、それとも補強してたりするのか、どうなんだろう?)