あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

日本管弦楽の名曲とその源流

東京都交響楽団  第693回定期演奏会 Bシリーズ
2010年1月26日(火)19:00開演(18:20開場) サントリーホール


指揮:小泉和裕
尺八*:坂田誠山
筝**:木村玲子
曲目


《日本管弦楽の名曲とその源流−10(プロデュース:別宮貞雄)》
松平頼則:「ダンス・サクレとダンス・フィナル」よりダンス・サクレ(振鉾)
廣瀬量平:尺八と管弦楽のための協奏曲*
三木稔:春秋の譜
ドナルド・ウォマック:「After」(日本初演)*/**


 文化会館でのA定期が仕事の都合でどうしても聴くことが出来ず、サントリーに振り替え。正直なところブリテンが聴きたかった。まあ、仕事だからやむを得ない(ホントにやむを得ないのかよく分かんないけど)

 とりあえず、作曲家・三木稔のプレトークから聞く。
 すっかり別宮さんは出なくなった。昔はプレトークはなくても、会場にはいたんだけど、最近は会場でも姿を見かけない。うーん…。コンセプトを知りたかったんだけどなぁ。
 三木氏のトークによると、どうも今回はウォマックから繋がる系譜だといえるだろう。
 ウォマックと三木が知り合いというか友人。広瀬も同世代の作曲家同士で、知り合いというか友人。その親世代が松平で、三木も面識がある…。という、ある種、内輪で繋がる関係とでもいうのか、現代音楽の世界は狭いというのか、まあ、そんな連なりである。

 だけど、音楽上に繋がりがあるのかというとよく分からない。あえて、雅楽や尺八や、歌舞伎の拍子や、二十弦箏やらと、意図的に「日本的な素材」を使おうとしているところにあるのかなぁ…と思ったりしたが。はたしてどうなのだろうか。

 松平のダンス・サクレは能の舞台を聴くような音楽。CDも出ているけど、今のところ管理人は「越天楽」による主題と変奏くらいしか良いなと思ってないけど、室内楽や協奏曲を聴くと印象が変わるのだろうか。

 広瀬の尺八は、尺八が熱演だった。不思議と曲があまり印象に残らない。

 三木の春秋の譜はタイトルからは分かり難いが交響曲だという。1年の移り変わりを日本的な素材(拍子とか)で作曲されているため、コレは非常に分かりやすい。単一楽章を4部に分けているような形式なのだが、実質的には終楽章では歌舞伎音楽の響きがあったりして、日本人が聞けば「分かる」曲だと思う。そして、海外でもステレオタイプ的な「ニッポン」のイメージに沿う曲だ。

 ウォマックの曲はえひめ丸沈没に当たって、作曲されたもの。被害者や遺族の心理描写を作曲化したと考えればいいらしい。恐怖や、怒り、諦念、そして受容…といった事故以降の時間の経過と共に変化する心境を時間軸に沿うかたちで曲にされている。
 冒頭の打楽器が乾坤一擲といった印象。9人の犠牲者にちなんでモチーフが9らしいんだけど、それもなんだか安易な発想だなぁ…と。おそらく、ウォマック氏自身が健康的な精神の持ち主で、ゆえに、非常に外面的というか健康的な曲になっている。後半はなんだか大河ドラマのテーマ曲のよう担っている箇所もあったし。

 でも、この曲、尺八と二十弦箏の二重協奏曲なんだよね。それを考えれば、ソリストは大いに健闘していたと思う。