マーラー編曲によるシューマン。
- アーティスト: シャイー(リッカルド),シューマン,マーラー,ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2007/03/21
- メディア: CD
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半世紀ほど昔に活躍した指揮者たちは当然のように、演奏に際して多少の手を加えて演奏していた。そのもっとも原点ともいえるのがマーラーの編曲によるものだ。
だが、ここ四半世紀以上の趨勢は「原点主義」で、シューマンも例外なく、スコアに書かれたとおりに演奏されるのが通例となっている。とはいえ、マーラーが編曲したシューマンの交響曲を聴いてみたいと思うのも人情で(笑い)、最近ではまず演奏されないマーラー編によるこの曲の演奏がCDとなったのはシューマン愛好家もマーラー愛好家にとっても喜ばしいことだろう。
前置きが長くなったけれど、感想としては、確かにスッキリとした響きだ。第2番の1楽章冒頭をトランペットだけで吹かせたり、恐らく随所に重ねられた木管や金管を取り外して主題がハッキリと浮かび上がるように細工してあると思う。だから、今まで気づかなかった対旋律が浮かび上がったり、演奏効果は非常に高まっていると思う。
その一方で池辺のいう「ああいう響き」は間違いなく後退している、というか、消滅している。メンデルスゾーンに通じる透明感のあるシューマンは極めて明るい、理知的な、いうなれば理詰めのロマン派的な印象を与える。だからここでのマーラーの仕事は彼の交響曲のように心理的に錯乱しているかのような、あのイメージではない。指揮者マーラーとしての職人技を十分に堪能する編曲なのである。
そして、シャイーの指揮も、その延長線上にあるから、第4番でも3楽章から終楽章にかけて、そしてそのままコーダにさしかかっても、演奏自体のテンションは低いように感じる。
たぶんそれは、重心の低い、フルトヴェングラーだとか朝比奈隆だとかの演奏とは違って、もともとシャイー自身がバスを殊更に重視しないからだとおもう。
とはいえ、これだけスッキリと理知的なシューマンは滅多にないので、これはこれで一度聴いてみる価値はある。ちょうど今年はシューマン誕生200年とマーラー誕生150年だしね。