あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

東京芸術劇場シリーズ『作曲家の肖像』 Vol.76《ベートーヴェン》(3/14)

会場:東京芸術劇場

指揮:エリアフ・インバル
ピアノ:小菅優

ベートーヴェン
付随音楽「エグモント」序曲 op.84
ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 変ホ長調 op.73 
交響曲第5番「運命」 ハ短調 op.67


 インバル&都響によるベートーヴェンシリーズの第2弾は「皇帝」と「運命」という一昔前の名曲コンサートみたいな演目になった。今どきこーいうプログラミングにお目に掛かることはまず無いと思う。都響の皇帝は、2007年11月の670回定期講演以来で、そのときのソリスト中村紘子だった。今回は、情熱大陸にも出演した小菅優だ。開演前からどんな演奏をするのかが楽しみにしながら、会場へと向かう。

 インバルのベートーヴェンは最近のこぢんまりとした「古典派」的なアプローチではなく、過去の巨匠らに続く、大編成のオケによるスケールの大きな音楽を作る。それは「エグモント」序曲からして鮮明だ。この序曲に第1ヴァイオリンを16人用意するあたり、インバルのベートーヴェン観が垣間見られるようだ。実にこざかしさのない、横綱相撲のような演奏を披露する。
 
 ピアノ協奏曲は冒頭のピアノ独奏から集中力の高い演奏だ。音に芯があって、変ホ長調のこの曲には必要な力強さが備わっている。オケもそれに応えるかのように実に堂々とした演奏だ。インバルは前回の英雄の時もそうだったとおり、今回もアレグロの指示通り快速なテンポを維持したままオケをリードする。
 ただ、時折気になるのは、どうもソリストとの呼吸が今一つ合っていないような場面が1楽章では見うけられた。それはインバルの振りによるものなのか、それとも小菅の解釈によるモノなのかはよく分からない。単に日程の都合でリハが足りなかっただけかもしれないし。
 それと、1楽章のコーダ部分でソリストがスケールを謬った?からか、一瞬、オケが陥没しかけたが、なんとか持ち直した。管理人もヒヤッとした。邦人演奏家だったら、同じ若手の線では上原彩子とか、聴いてみたい。もっとも個人的には杉谷昭子こそ、なんだけれど。(定期演奏会中村紘子じゃなくて、さ)

 休憩後の運命もやはり同様だ。ただし、前回の英雄が第一楽章が一番よかったのに対して、運命はインバルのアプローチが成功したのか、終楽章まで響きの充実した演奏をしていた。ここでもテンポはアレグロである。それも随分とオケをぐいぐいと引っ張っていく。もっと充分歌わせてもイイかな、と思うところでもインバルは容赦しない(苦笑)。まあ、そこが良いところなのではあるが。
 ところどころで新しい発見もあった。ホルンの処理が面白く、第1楽章などでは効果的に浮かび上がらせていたり、第3楽章のヴィオラはここまでしっかり刻むのか、と思ったり、その意味で、インバルはしっかりとアナリーゼしている。ウチに帰って、スコア見ながら他のCDを聴いてみたけれど、やっぱりインバルの解釈は面白い。

 終楽章はそれまであったリピートが無くて、ちょっとガッカリ。あと、トランペットはやや抑制気味だったので、冒頭のファンファーレのようになるところはそんなに輝かしい印象を与えなかった。ここもっと強調してくるかと思ったけれど、意外な感じだ。インバルの職人的な感性からかもしれないけれど、オケのバランスをしっかり取ったので、コーダのところはキレイに終わった。管理人の個人的な好みからすれば、もう少し汚くなってもイイから、低弦に厚みを持たせ、バランスに気を取られず金管を鳴らして迫力が欲しかったところだ。そこが欲を言えば、というあたり。

 とはいえ、このご時世にこーいう骨太のベートーヴェンが聴けるのは良いことだと思った。今年は飯守泰次郎ベートーヴェン演奏会があるから、その意味でも、オールドスタイルなベートーヴェンが聴けるハズなので、楽しみだ。