あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

立ち上がれ〜♪

朝日新聞の4月7日の記事。

 平沼赳夫経済産業相与謝野馨財務相らが結成する新党の名称が「たちあがれ日本(にっぽん)」となることがわかった。代表となる予定の平沼氏が7日、記者団に明らかにした。石原慎太郎東京都知事命名という。
(中略)
 参加が取りざたされていた鴻池祥肇元防災担当相も同日、「平沼さんと一緒に進もうと思ったが、理念や国家観が違う方と一緒にできない」と記者団に述べ、平沼氏に不参加の考えを伝えたことを明らかにした。与謝野氏が郵政民営化を進め、平沼氏の保守主義とも距離を置くことなどが理由とみられる。

 翔べ!ガンダムの歌詞ではないようだ。と言いながら、管理人は初代ガンダムは20年近く前にダイジェスト版でしか見たこと無いので、完全に「うろ覚え」ではあるのだが。

 燃え上がれガンダム!!とかいう歌詞の、2番が立ち上がれガンダム!!じゃなかったかなー…なんて思った。こう書くと、詳しいヒトが必ずコメント付けそうなのだが。そういえば、「ダブル・オー」は今年に映画化予定ではなかったっけか?


 のっけから脱線したが、与謝野新党の雑感である。

 財政規律派として、小泉・竹中路線とそれほど遠くない、そこそリベラルな与謝野と、郵政民営化に反対し、政界きってのタカ派である平沼で新党結成である。もともと「自民党」という政党にいたのだから、この二人が一緒になるのは不可能だとは言わないけれど、目指すべき社会像が大きく違う二人が共同代表のようなカタチで新党を立ち上げるのはどうなのかなぁ…と思う。

 ちなみに「たちあがれ日本」というネーミングは彼らの盟友・石原慎太郎によるものらしい。だが、実はイタリアにも「フォルツァ・イタリア(=頑張れ、イタリア)」という保守政党が存在したから、まあ、「どーなのかな?」という感じではなかろうか。

 ちょっとだけマジメに書くと、政党は「議会における政権の獲得を目指す政策集団」だと定義すれば、政党名はその政党の政治理念を表す一つの指標たり得るだろう。ゆえに、自由主義経済のもとで民主主義を実現する政党として自由民主党があるのであり、民主主義社会のもとで社会主義を目指す政党として社会民主党があるのだ。(後者が何をもって社会主義かというのは専門的なハナシになるので置いておく。管理人の研究対象ではあるのだが)
 それを考えれば、「たちあがれ日本」というのは現在おかれている日本(社会)に対して、何らかの政治理念に基づいた社会像を築くというのではなく、そこで謳われるのは日本(社会)に対して「立ち上がれ」と精神主義的な叱咤激励による再興を目指そうというものではないのか。
 もちろん、これから出てくる綱領等を見てみれば、個別具体的な政策は現れるのだろうが、その根本にある政治理念が「立ち上がれ」という精神主義である以上、現在日本社会に対する正確な分析は果たして可能なのだろうかという疑問が残る。


 55年体制の負の側面は、社会党を単なる批判政党にしたことに留まらず、実は当の自民党にとっても「保守政治とは何か」という内省的な考察を欠いたまま半世紀以上過ぎる結果になってしまったのではないか。だから、民主党政権交代した後、自民党から出る批判は、「民主党の政策は社会主義だ」という、脳細胞が死滅したかのような干からびきった批判しか出てこない。ソ連が崩壊して20年が経つにもかかわらず、未だに「社会主義」という批判をすれば良いと思っている発想そのものが、彼らの現状分析能力の深刻な不足を表している。

 ここまで来ると、おおよそ本家であるところの自民党に残された選択肢は少ないかのように思われる。構造改革路線が「みんなの党」に採用されてしまった以上、あとはフランス国民戦線オーストリア自由党のような「極右」政党となるか、吉田ドクトリンのような「自由主義的民主主義」路線を歩むことくらいしか、ないだろう。

 管理人としては、前者になってしまうと、政権交代は不可能(=世論の支持が得られない)なので、二大政党制の下での政権交代、という観点からすれば後者が望ましい、と結論づけられるのではないだろうか。