あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

それは想い出のなかに輝いた歴史@都響 第697回 定演

東京都交響楽団 第697回定期演奏会 Aシリーズ(4/22)

会場:東京文化会館

指揮:ジェームズ・ジャッド
ピアノ:相沢吏江子

モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453
エルガー交響曲第2番 変ホ長調 作品63

 新年度早々の定演は、奇しくも管理人の誕生日(苦笑)。お祝いのメールなんかを頂きつつ、すでに仕事中からジャッドのエルガーに期待していた。

 英国出身の指揮者による「お国もの」のエルガーの演奏を聴けるのだから、期待が高まるというものだ。都響はあまりエルガーを演奏するイメージ無いけれど、どーなんだろうか?
 とはいいながらも、サントリーホールのBシリーズは同じくエルガー交響曲1番を演奏しているから、大分エルガーには慣れているはず…。


 あいにくの雨の中、客席は7割強の埋まり具合か。指揮者のネームバリューとしても、プログラミングにしても地味だから仕方がない、とはいえるけど、ちょいと残念。

 モーツァルトは端正な演奏。中庸で可もなく不可もなし、と言った印象だ。あまりにフツー過ぎて特徴が無く、聴いた後にあまり記憶が残らなかった。ピアノの相沢も、そうした端正、というより、あまり宜しくない意味で「マジメ」な演奏である。悪く言えば、タッチが平板である。のっぺりとした打鍵に、モーツァルトの愉しさがあまり生かされていない。不自然さはないけれど、といった感じ。
 リストなら合うんじゃないかなぁ…。


 後半のエルガーは、凄まじく充実した響きだった。 冒頭からキビキビとした躍動感に満ちた音楽で、ジャッドはまさに「自家薬籠」という感じで音楽を進めていく。時代的には後期ロマン派と言ってもおかしくないが、そこはイギリスの作曲家である。マーラーR.シュトラウスのように感情過多にはならない、節度が必要だ。
 その点でジャッドの解釈は、曲想に応じてアッチェレランドやリタルダンドするのだが、それが常に節度を保ってなされる。情に流されすぎない、程々こそがエルガー演奏の信条である、とでも言いたげだ。

 だからこの演奏は現在進行形の大英帝国の落日を懐古するといったような、ある種、定式化されたこの曲の演奏とは一線を画している。過去になってしまった大英帝国の栄光を、現在の人間が冒険記を読むようなカタチで想像しながら振り返る、そんな演奏になっているのだ。ここには充満するセンチメンタリズムは後退し、代わって、若者の素朴な憧憬が描写される。そしてそれが精気漲る演奏と相俟って、極めて表情豊かな演奏になったと言えるだろう。

 ともあれ、よかったのでした。
 ジャッド、良いよ。定期的に呼んで、イギリスものを都響のレパートリーに入れようぜ。ヴォーン・ウィリアムズやら、惑星以外のホルストの曲、管理人も聴いたことのないハーティとか、いろいろいるわけだし、都響客演指揮者でイギリス音楽を専門にする人はこのところいないから、悪くない選択だとは思うんだけど、ね。