- 作者: 長谷部恭男
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2006/11
- メディア: 単行本
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著者は東大法学部教授(憲法)。
著者についてはあまりに有名だから書くこともないんだけれど、とも思うのだが…。ともあれ、現在活躍する憲法学者の中では最も「脂の乗っている」一人ではないだろうか。
本書の成立した背景は、いろいろ書いてきた論文を一冊に纏めたモノと考えてよいだろう。
構成は大きく3部に分かれていて
1「立憲主義と平和主義」
2「人権と個人」
3「立法過程と法の解釈」となっている。
特に面白かった第1部だけ、ここにメモを書き残しておく。
1部の「立憲主義と平和主義」では9条を準則ではなく原理として捉えることで、9条を取り巻く、硬直気味な議論に対して別の論点を提示していると言える。
著者の立場は、自衛隊と9条は合憲であり、立憲主義の観点から9条を維持した方が合理的だというあたりだろう。
9条が、「戦争による惨禍」を防ぐモノだとするならば、9条というカタチで、予め、政治の判断に足かせをする、つまりは選択の幅を意図的に狭めることは理にかなっている。(軍備といえる存在の正統性を予め封じておくことの意義は大きい)
9条における個別的自衛権と集団的自衛権の関係もコレと同様である。
つまり、アイスクリームを食べる自由は誰にでもあるが、自らの健康のことを考えて、敢えて食べない、という選択もまた背理ではない、という。
政治的リアリズムの立場に立てば、国際政治のアクターとしての国家は自らの国益のために行動するのであって、自国の安全と他国の安全を鎖で繋ぐことによって、場合によってはかえって安全が脅かされる場合も、またあり得る。
ただし、憲法の目的があくまでも政治における立憲主義の確立にあるとすれば、絶対的平和主義もまた、国民の福利に役立つかは相当疑問であるとする。この絶対的平和主義は「善き生」つまり生き方という共約不可能な価値を頂いてしまうがゆえに、立憲主義が目指したところの「公」と「私」の区分以前に段階にしてしまう。
また、絶対的平和主義でも、人民武装のような国民による自発的な抵抗やパルチザンが考え得るが、パルチザンは本質として、自軍、敵軍、民間人の区別を意図的に失わせることになり、そのもたらしうる帰結は、際限のない地獄となり、これもまた、憲法の意図するところではない。