あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

青砥恭『ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所』 (ちくま新書 809)

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)

 著者紹介によれば、著者・青砥恭はかつて埼玉県立高校で教鞭を執った後、現在は関東学院大で非常勤をしている。この本は、いわゆる「底辺校」に通う子どもたちの生活を採り上げた記録である。

 まず、「底辺校」ということだけれど、一般的には「教育困難校」というように呼ばれる学校の中でも、高校受験時の偏差値が最も低位に属する学校のことを俗にこのように呼ぶ。本書にも登場するように、中学校の時の成績が「オール1」でも入学できるような学校である(実際、定員割れてしているような学校であれば希望者は、ほぼ全員が入学できる「全入」状態なのだ)

 著者は偏りの無いようにレベルに応じた埼玉県の高校約50校から1クラスずつ、合計で1200人によるアンケートの結果を示す。そこには「進学校」と「底辺校」で対照的な結果が出てきたコトを紹介する。その質問内容は「あなたは親から期待されていると思うか」ということなのだが、進学校ほど、「(自分は親から)期待されていると思う」と答え、反対に底辺校ほど「期待されてないと思う」と答えているのである。

 進学校と底辺校の差は、一般的に思われているような「勉強が出来る・出来ない」の差だけではない。実はそれ以上に、彼らの生活態度や自己認識の点において両者は著しい対比を示す。「勉強が出来なくても、生活態度さえしっかりしていればイイ」という大人は多いけれど、実際に、「勉強ができないけれど、品行方正」というようなこどもは見つける方が難しい。
 なぜ、進学校の生徒と底辺校の生徒で差がついてしまうのか。それは、子どもの資質の問題なのではなく、子どもたちが親からの愛情を持って育てられているか、進学に必要なだけの充分な資力があるか、という大きく言えば「家庭」の問題が大きく横たわっているというのである。

 実際に本書でも採り上げられているように、底辺校の生徒の家庭環境は厳しいものが多い。虫歯の割合が多い生徒、その虫歯をきちんと治療しない生徒、どちらも底辺校で多く見られる現象である。また、学校によっては授業料の減免を申請する家庭が三分の一ほどいるところもあるようだ。

 そうした家庭環境であるから、親から充分な愛情を受けて育っていない子どもも多いのである。両親が不在(あるいは片親)であったり、酷い場合には、生徒が学校から帰宅すると、玄関前にその生徒の荷物一式が積まれ、自宅に入れず、親は愛人と生活している、という、(やや極端だけれども)そういうケースも挙げられている。
 そのような家庭環境にある子どもには、当然のことながら、家庭で小中学生時代の生活習慣を確立させること(居酒屋で食事をする家族連れ!!)はなく、勉強を見て貰うこともない(一方では早々に塾やお稽古事をする家庭もある)。従って、学力は低下し、次第次第に落ちこぼれていく。学校は当然、「つまらないところ」なので、学校内に友人は出来ず、人間関係も未発達なまま大きくなる子どもも多い。
 学校も学校で、そうした子どもの受け皿となるようなトコロは少なく、教育行政も本来であればそういう学校にこそ、(一部の「進学重点校」だけではなく)人的資源を配置すべきであるのだが、そこまでの財政的余裕がないようだ。従って、底辺校の多くでは威圧的に、頭ごなしに叱り飛ばす教員が多く、結果として、高校を中退する。

 高校を中退すると、多くの求人が「高卒以上」であるために、バイトもままならず、低賃金にあえぐ。そして、その状況下で、性関係を持つから、次の世代に貧困が再生産されてしまう。


 本書は、今まで指摘されながらもあまりクローズアップされてこなかった、高校中退者を巡る貧困や家庭状況を採り上げたものとして、非常に重要だ。とりわけ、青少年問題や教育問題、格差問題に関心のあるヒトは、一読されることをオススメする。