あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

闇の列車 光の旅


 順番で言えば、「踊る大捜査線」の次に観た映画で、「カティンの森」の前に観た映画なんだけど、感想が逆になってしまった。そこはご愛敬。そもそも、踊る大捜査線はまだ感想書いてないし。

 HPによるあらすじは、以下の通り。

ホンジュラスで暮らす少女サイラのもとに、アメリカで暮らしていた父が戻ってきた。強制送還された父は家族と暮らすため、サイラを連れて再びアメリカを目指す。一方、メキシコ南部の町で、青年カスペルはギャング団の一員として未来の見えない生活を送っていた。彼の希望は恋人のマルタだったが、その幸せの日も終わりを告げる。強盗目的でサイラたちが乗る貨物列車の屋根に乗り込んだカスペルだが、事態は意外な展開を見せる。

 これまた管理人には珍しい、メキシコ映画である。
 ホンジュラスについてはそれこそ、こないだのサッカーで戦ってたなー、くらいの認識以外、何も知らないも同然なので、へぇー…と思うことしきり。もっとも、映画で分かった気になるのはまずいだろうが。

 映画は主人公の青年と、彼の所属するギャング団の生活が描かれる。ギャングといっても、そこは中南米のギャングである。街のゴロツキたちが武装して、組織化して、警察が手をつけられなくなった感じだ。日本の暴力団ですらもっとスマートである。
 出口のない貧困が彼らに「学んで働く」という価値観を捨てさせる。そして、その貧困が世代から世代へ受け継がれていくとき、決して少なくない人々が非合法な世界へと、生きていくために入り込んでいく。
 前半部分のシーンは結構残酷である。改造した銃をギャング志望の子どもに持たせ、捕虜にした敵対するギャングを殺させる一種の通過儀礼を行わせるなど、途上国の少年兵に見られる「ファッションとしての殺人」を連想させる。

 この映画においてヒロイン的な位置を占めるのが、ホンジュラスで暮らすサイラである。彼らもまた、生活に希望がないから、希望を求めてアメリカへと不法入国しようとする。その入国の方法とは、貨物列車の屋根に乗って、ホンジュラスからメキシコを縦断し、アメリカの国境に入る、という方法らしい。

 そうした不法入国しようとする人々をギャングが強盗しようとするわけだが、そこで、ひとつ事件が起こって、ギャングの青年と出会い、共にアメリカを目指そうとする。

 この映画にはいくつかの側面があるだろう。
 ひとつは、中南米に厳然として存在する貧困の問題。それが単に貧困であるだけでなく、ギャングの存在という、深刻な社会問題として犯罪の温床となっている。
 二つめは、メキシコを縦断しつつアメリカを目指そうとする、ロードムービーの側面。
 三つめは青年と少女の間でほのかに芽生える愛情だろう。

 エンターテイメントではなく、ドキュメンタリーを見た後のような、後味の残る映画である。