あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

じゃじゃ馬馴らし (彩の国シェイクスピア・シリーズ第23弾 )

作:W.シェイクスピア
演出:蜷川幸雄
翻訳:松岡和子

出演(主要キャスト)
市川亀治郎(カタリーナ)
筧 利夫(ペトルーキオ)
山本裕典(ルーセンショー)
月川悠貴(ビアンカ

磯部 勉/原 康義/廣田高志/横田栄司/妹尾正文/岡田 正
清家栄一/飯田邦博/宮田幸輝/田島優成/川口 覚(さいたまネクスト・シアター)/石橋直人/荻野貴継


 管理人にとっては久しぶりの演劇だ(それも千秋楽)。職場が地元になってからと言うモノ、なかなか都内まで出ていって芝居を見ようという気力が起こらないのは良くない。月イチの定期演奏会を聴きに上野の文化会館まで行くだって何気に大変だ。けれど、地元にこーいう文化施設があるのは大変有り難いことである。このシェイクスピアシリーズのレベルの高さは折り紙付きだ。今回は「オール・メールシリーズ」で、シェイクスピアの時代同様、女性役は出てくるモノの、全員が男性の役者によって演じられる。

 この芝居の期間中、演出の蜷川幸雄文化勲章を受章した(お祝いの花が劇場には飾られていた)。蜷川は川口の出身で、今はさいたま芸術劇場の芸術監督を務める。お陰で、さいたま芸術劇場で公演される演劇はずいぶんと充実するようになった。「ハコモノ」をただ作るだけではダメで、そこにいかなる人的資源を投資するかが文化活性化のカギであろう。それで言えば、個人的には副監督に音楽関係を入れてくれないかなーとは思う。せっかくの音楽ホールがもったいない。もっと室内楽が器楽曲のコンサートを開けばいい。中堅若手をドンドンと紹介してほしいところだ。

 さて、芝居の内容だけれど、市川亀治郎のカタリーナは、ときどき「魅せる」歌舞伎の所作がアクセントになり、単調になりがちなセリフの応酬が非常に面白く感じられる。パンフレットにも書いてあったが、普通なら数行のセリフ程度の内容でも、シェイクスピアは数十行にわたって延々と語らせる。そうしたセリフを全く弛緩することなく、機関銃のごとくセリフを応酬し合う市川亀治郎筧利夫はまったくもって「プロの技」であった。お金を払って芝居を見るというのはまさにこういうコトなのだと実感させられる瞬間の連続だ。
 
 古典演劇は初の経験であるという山本裕典は確かにイケメンである(笑い)。妙に感心してしまった。前者二人に比べると、まだまだ振る舞いきれてない。「常識的な」ルーセンショーになっていた。とはいえ、ルーセンショーはそういう役ドコロとも言えるのだけれど。これから年に1本ずつ、こういった舞台をやるとホントに良い役者になるんじゃないのかなぁ。なかなか華のある俳優だと感じたので、頑張って欲しい。

 個人的に感心したのはトラーニオ役の田島優成だった。表現に難しいのだけれど、演劇向きな役者だと思う。メインキャストはあの4人なのだけれど、トラーニオは重要な役で、ストーリー上の欠かすことが出来ないが、熱演である。個人的には亀治郎筧利夫に次いですごかった。


 じゃじゃ馬馴らしの内容自体は、フェミニストからの批判を受けることもある、というが、さもありなん。「悪魔だ!」とまで街の人に言われるほどの、じゃじゃ馬女性が、最後には妻の貞淑とその役割について切々と訴え、大見得を切るあたり、現代の作家が現代を舞台にしたら、訴えられてもおかしくない。
 もっとも、400年前の戯曲に難癖つけてもしょうがないので、これはこれでシェイクスピアのウィットを楽しめればいいと思う。じゃないと、源氏物語にも突っ込みを入れなくちゃイケナイし、ねぇ。

 ともあれ、大満足な芝居だった。