あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

部分最適が陥る罠

 youtubeにupされた尖閣諸島沖での海上保安庁の巡視船と中国漁船の映像を見た。当日は衝突の話ばかりだったが、ここに来て情報漏洩の方に話がシフトしているような感じがする。

 APECサミットのテロ対策情報もどうやら意図的に漏洩されたようだ。もっとも、この問題は日本だけではなくて、アメリカも同様だ。先日のクローズアップ現代でも取り上げられていたように、米軍のイラク戦争に関する情報が流出している。その投稿先にwikilieaksがあって、国家機密と知る権利はどのような関係にあるのか、などと言う問題に発展しそうな勢いだ。

 ただ、いずれも、内部関係者でないと入手できないような情報が漏洩している典では共通である。アメリカの場合は分からないけれど、日本の場合なら、先に挙げた内容は当該官庁の関係者しか知り得ないデータであるから、国家公務員法の機密漏洩に問われるような事件だろう。

 問題は、政府が「この情報は機密扱いにします」という方針を決めたとき、その意に反して「漏洩させてやろう」と思う人間が組織内部にいると言うことにある。その背後には、憂国の情があるかもしれないが、この状況ではハッキリってガバナンスが効いてないとしか国際的に見られないだろう。尖閣諸島沖での問題の時には、「那覇地検の判断で釈放した」という説明を政府はしていた。だが、この言葉を素直に信じる人間はいなかったはずだ。ホントに政府上層部の意向に関係なく、現場が勝手に動いたら、今回のような結果を招くのである。組織が組織として機能しなくなるのだ。


 もっとも、今回の一件は、内村鑑三教育勅語拝礼拒否事件みたいに「思想・良心に反するから拒否する」みたいなのとは、やや性格を異にすると思う。つまり、機密文書の故意の漏洩は思想良心の自由と合致するか否か、というと、それは違うんじゃないかということだ。

 ただ、満州某重大事件や、林銑十郎の行動、その後日本軍の行動を思い出すまでもなく、日本では「状況を考慮しない現場の勝手な判断」というのは古くから広く行われていたとも言える。つまりは、当人たちにとって悪意はないのかもしれないが、大局観のない組織内部の人間の勝手な行動が、結果として、全体を危機的状況に陥れてしまう、ダメな会社で見られる典型例なんだろう。


 ところで、どうでもイイが、アメリカ軍ですら内部情報が漏れるのだから、日本で漏れるのはある種、当然のような気もしないでもない。