あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

問題なのはこの次のセリフ。

 石原慎太郎の発言が酷すぎる。

青少年健全育成条例改正案:PTA団体など、都に成立求め要望書 /東京(毎日新聞
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20101204ddlk13010267000c.html

都内のPTA団体などが3日、都青少年健全育成条例改正案の成立を求める要望書を都に提出した。石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。

 「テレビなんかに同性愛者が平気で出てる」「日本は野放図」なのだという。
 信じられない差別発言だ。もともと、石原は外国人に対する差別感情を隠そうともしないが、ここまでくると犯罪行為である。
 もっとも、記者会見ではないから、前後の文脈がよく分からないという一定の留保は必要であろう。(場合によっては、意味内容が変化することもあり得る) しかし、この部分だけ読めば、石原が差別的発言をしているのは火を見るよりも明らかだ。

 話は若干ずれるが、この発言について、他のメディアが報じないのは一体何故なのか? 相変わらず海老蔵の話ばかり採り上げているが、ハッキリって、これは「スルーしてはいけない」発言だろうに。 毎日も記事としては採り上げているが、単純に事実内容を淡々として伝えているようなニュアンスであり、報道する側の人権感覚の希薄さには驚きを隠せない。


 以前、エントリでも、4月18日付の新聞の内容から、石原の発言を採り上げて

 石原知事『与党は帰化した子孫多い』 東京新聞 2010年4月18日 07時06分

 民主党などで検討されている永住外国人への地方参政権付与をめぐり、東京都の石原慎太郎知事が十七日、都内の集会で「帰化された人、そのお子さんはいますか」と会場に呼び掛けたうえで、「与党を形成しているいくつかの政党の党首とか与党の大幹部は、調べてみると多いんですな」と発言をした。

 とする内容を批判した。石原の暴言の根拠は「インターネット」であるらしく、その耄碌ぶりを全国民の前で披露したわけだが、大手メディアはさしたる関心もなかったのか、まともに採り上げなく、東京新聞がコラムで批判するくらいであった。

 しかし、今回の発言もそうだが、もはや「耄碌」で片付けてはならないレベルの発言である。


 以前書いたけれど、再び繰り返す。

 1983年の衆議院選挙において、東京2区から自民党の公認候補として立候補した石原は同じく自民党から立候補した新井将敬に対して、悪質な選挙妨害をした。

 在日韓国人として生まれ、16歳で帰化した新井は東大法学部を卒業後、大蔵官僚となり、その若さと経歴で政界へと立候補したのだ。

 この時の選挙戦において、石原の選挙陣営は何を行ったかといえば、新井の選挙ポスターに「元北朝鮮人」と書いた黒いシールを貼り付けるという選挙妨害を行った。(石原の元公設第一秘書は逮捕)

 こうした「前科」がありながら、自分の発言に「決して差別しませんよ」といっても、それは全く信用できない。日頃から中国を「シナ」と呼び、過去において中国人やコリアンに対する蔑称として「三国人」と言う言葉をわざわざ使用した石原には、一面において「日本人の最も醜い部分」が表出されているといっても過言ではあるまい。

 確かに自分にとってこのコトは、対岸の火事である。しかし、ここで思い出すのがニーメラーの詩だ。

 ナチスに抵抗して拘束された、ドイツ人牧師のマルティン・ニーメラーの詩の内容は、次のようなものだ。(『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』)

 「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。

 ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。

 ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。

 ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。」

 他者に対する人権侵害までを「自由」や「寛容」などとは、近代政治原理では決して言わないのである。そして、最初におこった人権侵害を、見て見ぬ振りをすると、やがて自分の周りにまで、そうした侵害はやってくる。

 第二次大戦以降、ファシズムのような露骨な人権侵害は先進国では無くなった。しかし、このようなカタチで、首都の自治体のトップが公然と人権侵害な発言をするとき、そこには「白いファシズム」の下準備をすることになりかねない。

 結論から言えば、このような発言を到底、容認してはならないのだ。