あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

20代指揮者の実力は? 都響709回定期演奏会

東京都交響楽団 第709回定期演奏会 Aシリーズ
ヤクブ・フルシャ プリンシパル・ゲスト・コンダクター就任披露公演

2010年12月20日(月)
会場:東京文化会館

指揮:ヤクブ・フルシャ
ピアノ:ニコライ・ルガンスキー

リスト:交響詩「レ・プレリュード」
ショパン:ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11
マルティヌー交響曲第3番


 プリンシパル・ゲスト・コンダクターと横文字使っているけれど、早い話が首席客演指揮者なんだろう。わざとそうする意味が分からない。都響定期会員の年齢構成からすれば、あんまり奇抜なネーミングはよせばいいのに。
 文句はそれくらいにして、チェコの俊英・フルシャのお披露目公演である。以前、客演に来て2度目の都響にして、その登場が首席客演なのだから、余程と双方の相性が良いのだろう。


 リストのプレリュードは今どき珍しい実演の曲。昭和の時代はずいぶん演奏されたらしい。まあ、確かにロマン派全開の作品である。取り立てて凄い曲ではないのだが、音響的に華やかなので、前座に持ってくるのは良いのだろう。後半のマルティヌーはオケが爆発するような曲ではないからここでしっかり鳴らしておくのも良いかもしれない。実際に良く鳴っていた。

 リストからの繋がりで言えば、ショパンの協奏曲は、まさにオーソドックスな配列ではなかろうか。それでメンデルスゾーンとかシューマンとか来たら「もう満腹です」じょうたいなのだが(苦笑)。
 ソリストルガンスキーは端正なショパンだ。もともと詩情溢れるピアニストというよりも、バリバリ弾く自動演奏マシーンのようなところがある。ルガンスキーの本領発揮で言えば1楽章だったと思う。もう呆れ返るほかないほどのテクニックだ。これで文句をつける方が間違いである。ピアニストとしての体格にも恵まれているから、この曲がそんなに難しい曲だとは思えなくなってしまう。いや、そんなはずはないのだが…。
 2楽章は、端正すぎて若干単調になってしまった。これはオケとの練習不足なのか、もともとルガンスキーが「そういう」解釈なのかは良く分からない。

 ただ、協奏曲の後、アンコールで幻想即興曲を弾いてくれた。この曲の解釈も中村紘子的な「浪花節」なタメとかは一切ない。あるいはコルトーらのように、もっとルバートかけないの?というようなところをアッサリ流し、「えっ、ここで?」というようなトコロで魅せたりする。いつもと違うのでなかなか面白い。


 後半のマルティヌーは非常な名演だった。
 そもそもマルティヌー自体が演奏機会が少ないため、オケにはこの曲の完成されたイメージがないと思う。けれどフルシャは自分の求めたい音を的確に引き出していた。これは尋常ではない。だって、まだ20代だ。 とりわけ第2楽章で、テーマというか動機が反復されながら次第に昂揚していく部分があるのだが、そのあたりの処理が的確なのだ。
 また、第二次大戦を意識して書かれたこの曲の「蔭」の部分が非常に印象的だったことも指摘して良いだろう。曲を聴きながら時折みせる「ほの暗さ」は、ショスタコーヴィチなどにも感じられる響きだ。それをほんの数回の顔合わせで実現してしまうあたり、大した手腕だと言わざるを得ない。
 もちろん、今回の都響の弦セクションをはじめ、非常に指揮者の意図を表現しきっていた。とても充実した演奏会だった。これぞ定期演奏会の醍醐味である。

 都響はしっかりとフルシャと回を重ねて、今回のような埋もれている名曲をドンドン採り上げて貰えれば、と思う。