あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

ペーター・マーク「ベートーヴェン 交響曲全集」を聴く

ベートーヴェン:交響曲第7番

ベートーヴェン:交響曲第7番

 
 正月初売りはついつい普段買わないようなモノまで買ってしまう。

 管理人もそうした例に漏れず、ついつい買ってしまった。そのうちの一つがスイス生まれ(イタリアで死没)した指揮者・ペーター・マークによるベートーヴェン交響曲全集である。

 このマークという指揮者は変わった経歴の持ち主で、ピアノをアルフレッド・コルトーに、指揮をエルネスト・アンセルメヴィルヘルム・フルトヴェングラーに師事するという指揮者としての将来を約束されたような経験を積みながら、商業主義とは一線を画し、禅僧として修行生活をするという、管理人にとっては良く分からない人物である。

 でもって、コルトーフルトヴェングラーに師事していながら、マークの演奏は彼らとはまるで正反対の、端正そのものの演奏だ。 メンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」のCDは同曲演奏の中で、そのマークの美徳が遺憾なく発揮された名演で、管理人はベストを争う出来だと思う。


 そんなマークが70代半ばにさしかかるころに録音したのがこのベートーヴェンである。

 マークは大風呂敷を広げるようなことはせず、ひたすら自らの音楽を心ゆくまで楽しむように指揮している。力こぶを出すような箇所はまるでなく、ひたすら中庸の美を目指すかのように、音楽を慈しんでいる。

 まさに円熟した極致にあるのだが、それゆえにベートーヴェンの意志や情熱がずいぶん後景に退いてしまっている。 ここでは、フルトヴェングラーのような溢れんばかりのロマンティズムも、トスカニーニのようにそれをほとばしる理性(語義矛盾なのだが)も縁のない世界だ。

 もっとも、3度目のカラヤンのようなただ響きばっかり豪華なだけの演奏に比べると次元が異なるのだが、それでも「枯淡の味わい」とでもいった、シューリヒトやヴァントや、オーソドックスながらみずみずしい音楽を聴かせるイッセルシュテットに比べると、得るところが少ない。


 と、ケチばかりつけてしまったが、そうしたマークの音楽性と、曲想がマッチしているのが、第4番と8番だ。これは素晴らしい。 

 1番、6番、7番、9番も実演で聴けば感動的だろう。ただし、これらの演奏は「巨匠指揮者」たちによる様々な名演があるため、「マークじゃなきゃダメだ!」と思わせるほどではない。『レコ芸』でいうところの「準推薦」レベル。

 3番、5番は、どうも曲のエネルギーが表現しきれてない。どうも精進料理を食っているような演奏になってしまっている。 反対にいえば、「過去の巨匠」の演奏が苦手で、アバドとかセルとか聴いてます、というならマークの全集は感動するに違いない。