あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

「朝比奈隆のすべて」を読む

朝比奈隆のすべて 指揮生活60年の軌跡

朝比奈隆のすべて 指揮生活60年の軌跡

 著者の朝比奈隆(1908-2001)は指揮者で大阪フィルハーモニー交響楽団音楽総監督を務めた。
 
 図書館で以前に読んだものだが、年明けの某中古CD店の古書コーナーに安く売っていたのでコレを機に再読。

 本書の位置づけとしては、以前に新聞や雑誌等で掲載された、朝比奈隆の文章や対談を単行本に収録しなおしたモノだといえる。

 京都大学法学部を卒業後、阪急電車の運転手や阪急デパートの販売員などを経て、ふたたび音楽の情熱を忘れられず、京都大学文学部に再入学。そこで亡命ロシア人音楽家エマヌエル・メッテルの薫陶を受け、指揮者としての地歩を徐々に固めていくまでの自身の回想が分量としては多い。

 日経新聞の「私の履歴書」に連載した『楽は堂に満ちて』は自身の半生を振り返った自伝であるがそれに似ているといえば似ている。ただし、こっちの回想は少年時代の様々なエピソードに触れられている。例えば、養子であったことや、両親の死によって再び生みの親の下へ戻ったこと。子ども時代や学生時代の遊びのことなどである。
 本書に収録されてある文章の方が『楽は堂に満ちて』の執筆時点よりも時代的に古いので、おそらく重複を避けるために省いたのだろう。
 反対に、指揮者になってからの活動については本書は分量が少ない。

 朝比奈隆といえばお馴染みの評論家宇野功芳との対談もあるが、個人的には最後に割かれた評論家小石忠男との対談は、朝比奈にしては珍しい指揮者論・音楽論一般を展開している。
 ここで示される音楽観は朝比奈の演奏姿勢や作品解釈にかなり反映されていると見るべきだと個人的には強く思う。

 朝比奈の著作を読んで思うことは、いつもの似たり寄ったりになってしまうのだけれど、この手のタイプの指揮者は日本で出現しないだろう。音楽大学指揮科の設立は「棒を振る技術」としての指揮法の向上に寄与しても、古典解釈における様々な可能性というモノを捨象する方向にしか作用しないんじゃないかと思う。

 ともあれ、「朝比奈ファン」のための本である。