坂入健司郎指揮
イェルク・デームス(ピアノ)
近谷直之 「Paradigm shift」(世界初演)
シューマン ピアノ協奏曲イ短調Op.54
チャイコフスキー 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」Op.32
ストラヴィンスキー 組曲「火の鳥」(1919年版)
アンコール
ラヴェル 「マ・メール・ロア」〜妖精の園
東日本大震災で管理人がチケットを買っていたコンサートもほとんどが延期か中止になってしまった。そんな中でコレだけは「決行」されたのだ。なかなか関係者各位は勇気がいたと思う。今回の震災で被災し、犠牲になった方々に対して、関東圏にいる人間はお見舞い申し上げ、冥福を祈る。それと共に、関東圏のインフラストラクチャーはほとんど被害を受けていないわけであるから、最大限の節減をしつつ、我々は日常生活を送り、生産活動を通じて直接的・間接的にも震災後の復興に寄与すべきだと思う。
「だからこそ」コンサートは実施されるべきなのだ。音楽の持つ力を信じ、人類の生み出した文化の力を再確認することで、明日への活力となるのであるから。
1曲目。作曲者は慶應経済学部の現役学生だという。パラダイムシフトという表題から推察されるように、音楽的な意味でも、聴き手の意識の中でもそうしたパラダイムシフトが起こることを期待しているようだ。
それで言えば、確かに「現代音楽の夕べ」みたいな曲とは位相を異にする。クラシックと言うよりも、イージーリスニングのような印象だ。そして、「盛り込むだけ盛り込んでみました」というような表現技法であった。
ともあれ、あの歳でコレだけ書けちゃうんだから大したもんだよね。
次はデームスをソリストに迎えてのシューマンのピアノ協奏曲。
5年ぶりくらいにデームスを聴いたけれど、さすがに衰えてきた感じだ。ミスタッチが目立つというよりも、もう指がまわらないのであろう。彼の特徴でもあるそのダイナミズムも後退してしまい、老いを感じずにはいられなかった。もっとも、コルトーの晩年の録音もミスタッチだらけだが、それでもロマン派中のロマン派というような香りがあればいい。それで言うと指揮者の坂入は(当たり前なのだが)まだ経験不足なため、オケ全体がデームスに対しておっかなびっくりあわせているような印象だった。
このあたり、去年聴いた宮本文昭とルイサダのコンサートと同じ。
アンコールはさすがに自家薬籠中の2曲だ。安心して聴ける。それでもトロイメライの夕映えするような美しさは今回欠けていたように思う。期待値が高かっただけにちょっと残念。
むしろ後半の2曲がイイ。
恐らく存分に練習したのであろう。チャイコフスキーはなかなか骨太の曲に仕上がっている。これはチャイコフスキーではとても大事なことだ。全体的なテンションの高さも必要で、学生を主体としたユースオケ「にもかかわらず」なのか「だからこそ」なのかは良く分からないが、精度は高かった。なんせ彼らがくたびれないのだ。集中力があるよな。若いって凄いよね。
ラストは火の鳥である。管理人は当日までハルサイだと思っていた。すっかり勘違い。
ところで、選曲はどういう過程で決定したんだろう? 火の鳥を演奏しようと思うのだから大したモノだ。それをやろうというだけの熱意がメンバーにあったのか、それとも指揮者の坂入にあったのか。個人的には後者なんじゃないかと思う。というのも、チャイコフスキーもそうだったが、この曲も非常に良く指揮者は自分のモノとして消化しているのだ。
オケもそうした坂入の棒に良く応えている。とりわけ素晴らしかったのがコンミスと木管群だ。オーボエ、クラリネット、ファゴットはそのままプロオケにいてもおかしくない安定感だった。
今回は1919年版というのもあって、「大団円」のラストは弦楽器が4分音符で弾かれる。個人的にはコレが好きだ。1945年版にも良さはあるんだけどねぇ。集結部は柔らかく終わりにしたのも面白い。
そんなこんなで、楽しく聴けた。
恐るべし、慶應ユースオケ。そして坂入健司郎。