あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

Justiceのムズかしさ。

ビンラディン容疑者殺害=米同時テロ事件を首謀−パキスタンで軍事作戦(時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011050200235

 ビンラーディンが殺害されたようだ。
 今日のトップニュースで取り上げられているから、もはや知ってはいるだろうが。

 WSJではオバマ大統領の演説を原文で採り上げている。
 多分、ニューヨークタイムズとかでも同じだとはおもうが。
http://jp.wsj.com/US/Politics/node_230828

 難しいのはJustice has been doneをどう解釈するかなんだろう。
 直訳すると確かに「正義は達成された」となるんだけど「justice」には「正義」という意味の他にも「公平さ」とか「法の裁き」とかそんなニュアンスがある。
 もっとも、これは日本語に訳すとこういう対応関係がありますよ、ってハナシであって英米圏のヒトたちはこれらが一つの概念で結びつけられているともいえるのだろう。

 だから無辜の市民を多数殺したテロリストに応報すれば、そこには死しかない。その意味で一種の「公平さ」=「justice」なのかなぁ…とも思った。多分、この文脈で法による裁き、という意味は無さそうだし。


 とはいえ、ビンラーディンの死によって、アメリカは2通りの選択肢が出てくるだろう。

 1つは泥沼化するアフガニスタンでの「テロとの戦い」に勝利することが出来た(この場合、ビンラディンの死をその目標とする)ために、アフガンからの撤退のきっかけを作れるというもの。

 ただ、この場合、アメリカ単独ではメリットがあるが、国際的にアフガニスタンの治安はどうなるのか、という問題と、さんざんアフガニスタンを破壊して、アメリカは去っていくのか、という問題がある。
 つまり、かつてソ連によるアフガン侵略に対してとったアメリカ政府の対応(ビンラーディンをはじめとするイスラム義勇兵への支援と、ソ連撤退後のアメリカのアフガンへの無関心)がアルカイダビンラディンを生んだ構図と、全く同じ状況が出てくる可能性も出てくるのではないか。

 もうひとつは、「テロとの戦い」に勝利したことで、今後、アメリカはより一層、テロとの戦いに邁進していくというもの。この場合、古くさい図式になるが、まさに文明の衝突状況が生まれかねない。


 いずれにせよ、ビンラーディンの死によって、アフガニスタン問題が解決したという短絡的な認識だけはしてはならないと思う。ともあれ、中東の武力によらない体制転換という中東革命とビンラーディンの死はある意味でこの10年の変化を物語ってはいるんじゃないだろうか。