あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

〜東京シティ・フィル創立35周年記念〜ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ最終回

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第247回定期演奏会
2011年7月13日(水)※当初2011/3/17(木)に予定されていた公演の延期開催です

東京オペラシティ コンサートホール


ベートーヴェン:「コリオラン」序曲
交響曲第2番ニ長調(マルケヴィチ版)
交響曲第5番ハ短調(マルケヴィチ版)

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
指揮 飯守泰次郎

 震災によって延期になっていた飯守&シティ・フィルのベートーヴェン全局演奏会最終回に行ってきた。トリを飾るのは青春の2番と運命でお馴染みの「5番」である。

 当日はどーしても外せない会議があったりして、プレトークに間に合わず、それでも何か口にしようと慌てておにぎりを口に詰めたのが開演5分前だった。なのでプレトークを聞くことが出来ていない。どうも周りの様子から、5番の運命のモチーフをどう表現するかと言うところに関心があったようだ。

 コリオランから。ヴァイオリンとヴィオラの主題は随分とテンポを落として演奏する。それはそれで良いんだけれど、シティ・フィルの弦楽器群はそんなにキレイな音を出すわけではないので、どうも音程が不安定で気になって仕方がない。もっと音色を!と思ったりするんだけれど、恐らくそれも含めて、不気味さとか不安定さを表現したいのだろうなとは思った。

 2番・5番はブリュッヘンで聴いたし、インバルでも聴いたんだけれど、今回が一番「自分にしっくりと来た演奏」だった。マルケヴィチ版だというのもあるのだろう。水分をしっかりと含んだ果物のようにどこをとっても音の充実感に溢れた演奏だ。とはいえ、カラヤンのように絢爛豪華なオケの音というわけではない。 身も蓋もなく言えば、昔の巨匠たちの延長線上にある演奏である。
 特に2番は1楽章の主部が素晴らしい。「アレグロ・コン・ブリオ」の若々しい推進力と、弦楽器群を中心としたしっかりとした音が充実度を高める。2楽章以下では木管がイマイチなのが惜しかった。

 今回の一番聴きどころは5番だろう。冒頭の運命動機をそれぞれにアクセントをつけながら弾かせるそのやり方は「過去の巨匠」の延長線上に位置する。今どきここまでしっかりと「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」といくのは珍しい。もちろん個人的には大賛成だ。オーボエのソロは絶品だったし、3楽章以下のチェロとコントラバスの迫力はアンサンブルも含めて素晴らしいの一言だ。
 そうした低弦の力も相俟って、3楽章から4楽章の緊張感は今まで実演では耳にしたことがないくらい高まっている。3番はエネルギーを解放することで作り出した音楽だが、5番はそれを濃縮させることによって作り出される音楽である。というような趣旨のことを生前の朝比奈隆は語っていたが、まさにそのように演奏して成功したのだ。
 多分にマルケヴィチ版のボウイングも今回はプラスに作用しているんだろうな。一つの理想的な演奏だった。

 今まで、管理人は実演で何度かこの曲を耳にしているが、その中で「ベートーヴェン 交響曲 第5番」の構造を最も端的に表現した演奏だろうと思った。 コレだけの演奏を聴けたのは本当に良かった。

 飯守&シティ・フィルによるベートーヴェン交響曲全曲演奏。ベーレンライター版、マルケヴィチ版と来れば、次は近衛秀麿版かマーラー版だろうか。