あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

コクリコ坂から

 と、いうわけで感想を記す(笑い)。
 昨日、土用の丑の日で、グランマとウナギを食べたハナシはまた後ほど。

 ゲド戦記を観たあとの壮大なガッカリ感は今でも生々しく覚えている。映画を観たあと、友人と近くの喫茶店で遅くまでなぜこんなにダメだったのかを語りまくった記憶がある。
 それから5年たって、再び宮崎吾郎監督作品は少女マンガが原作となった「コクリコ坂から」だ。
ちなみにコクリコは仏語で「ひなげし」を意味するらしい。

 舞台は1963年の横浜のある学園。そこで起こる文化部棟の立て替えを巡る学生紛争と、宮崎駿がいう「人を恋するはなし」が絡まり合ったストーリーだ。原作は80年代の少女マンガだが、時代設定もキャラクターも結構大きく変更されている。

 「心象描写に終始する少女マンガは映画に耐えられるか」と宮崎自身が「企画のための覚え書き」でテーゼを掲げるように、宮崎映画の一つの特徴はその作品における構造の強固さにあるのだろう。(だから、余計ではないにしろ、プロットに付け足されるような要素は削ぎ落とされる。観客は彼らの背景なりエピソードを自分で想像するよう求められるのである)
 主人公の海は朝鮮戦争で父親を失っている。その父親と彼の親友の息子が織りなす青春群像とでもいうべきか。「耳を澄ませば」と似ていなくもない作品だけれど、こっちの方がファンタジーの要素はまるでない。むしろ昭和ノスタルジーである。

 宮崎自身も述べていたが、「昭和」が「ノスタルジー」として、映画化しうる対象となったのだ。
 クレヨンしんちゃんの「モーレツ オトナ帝国の逆襲」やら「Always 三丁目の夕日」やら「20世紀少年」が一定の興行的成功を収めている背景には、現代社会のアンチテーゼとしての「古き良き昭和」が措定されており、このコクリコ坂もその延長線上に位置するといえなくはない。

 それでいえば、ジブリ映画の割には、いったいどこをターゲットにしているのか興行的にはわかりにくい作品である。普段映画を観ない世代を狙っているなら、分かるのだが、そのあたりへの浸透が今ひとつだ。
興行的には成功しないかもしれないが、しかし、宮崎吾郎の2度目の監督作品としては上々のできばえを示している。カット割りがドラマ的で、もっと表現として引っ張ってほしいなと思うところはあるのだが、それが逆にテンポ感を生み出しているのも否定できない。ただし、沈黙の間というか、映画の緩急でいえば「緩」の場面が今ひとつ語らないのである。時折、コマ送りしたくなるような瞬間がいくつかあった。

 管理人が一番好きだったところは路面電車の電停で海が俊に対して告白するシーン。原作の脚本と順番を入れ替えているし、台詞も変化しているのだが、個人的には大賛成だ。困難さを引き受けた上での海の告白は実に印象的だ。
 
 気づいたことをいくつか。

 主人公の海は周りから「メル」と呼ばれるが、La Mar(仏語で「海」) からメルなんだと。文化部棟もカルチェラタンで、フランスのラテン語地区だし。高校生なのに教養があるなと。いや、当時の高校生は教養階級なのだ。 竹内洋教養主義の没落』なんかで出てくるのはそういう時代精神なんだろ。

 最後に海は恋人と出会うことによって、父を(あるいは母も)取り戻すんだろうな、と。

 でもって、やっぱり全体を通じて昭和ノスタルジーだ。黒煙を上げる煙突、ろくに舗装もされていない道を走り回る自動車。そして戦争孤児…1963年はまだ「戦後の刻印」がしっかり残る時代でもある。


 見て大丈夫な映画だろう。個人的にはハリポタよりこっちを観たら良いと思う。
 もちろん、続き物だからハリポタ観ることを全然否定はしない。 いや、あまりにもこっちがガラガラだったんで。平日の午後だったからだろうか。世間は夏休み突入だから覚悟はしていたんだが。