かくもボリュームのあるシリーズが集英社から始まった。
集英社の85周年企画として全20巻の戦争文学シリーズである。
戦争×文学 19 ヒロシマ・ナガサキ コレクション (コレクション 戦争×文学)
- 作者: 原民喜ほか
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2011/06/03
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 12回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
真正面から戦争を扱ったこれらの本は、1巻ずつテーマが与えられていて、第1回の配本は『アジア太平洋戦争』と本書である『ヒロシマ・ナガサキ』である。この本はなかなかの分量で優に800ページを超える。しかし、その痛烈な体験と、文章の持つ力のため、ページ数を感じさずに読むことが出来た。
「ヒロシマ・ナガサキ」と表現されるように本書は戦争文学であると共に、地域文学としての側面もあるのだろう。だが、「ヒロシマ・ナガサキ」という言葉が意味するところは人類が忘れてはならない歴史の最たるものと言える。
編集方針として中・短編小説を中心に所収してある、800ページ超の本書には小説や詩歌を含め20作品ほどが収められている。
収められた作品は次のとおりである。
原 民喜 『夏の花』
大田洋子 『屍の街』
林 京子 『祭りの場』
川上宗薫 『残存者』
中山士朗 『死の影』
井上ひさし 『少年口伝隊一九四五』
井上光晴 『夏の客』
美輪明宏 『戦』
後藤みな子 『炭塵のふる町』
金在南 『暗やみの夕顔』
青来有一 『鳥』
橋爪 健 『死の灰は天を覆う』
大江健三郎 『アトミック・エイジの守護神』
水上勉 『金槌の話』
小田 実 『「三千軍兵」の墓』
田口ランディ『似島めぐり』
◎詩歌 栗原貞子『生ましめんかな』 峠 三吉『八月六日』 山田かん『浦上へ』 正田篠枝(短歌) 竹山 広(短歌) 三橋敏雄(俳句) 松尾あつゆき(俳句) ◎川柳
構成は原民喜や大田洋子のように被爆体験とその直後の様子を文学作品へと昇華した文学作品や中山士郎や後藤みな子のようにヒバクシャのその後やその家族を描いたものなどストレートに原爆を扱ったものが挙げられよう。
林京子の『祭りの場』などはナガサキの被爆体験を小説化したものであり、ややもするとヒロシマばかりにフォーカスが当たりがちな原爆のイメージを覆えす文学であろう。
とはいえ、これらの作品で描かれる爆発直後の人々や町の様子は強烈である。特に原の作品は広島の原爆をテーマにしたもののなかでは避けても通れないのだろうが、出来れば避けたくなるようなその世界は、非常に読んでいて辛くなる。文字で書かれているだけなのにこれほどまでに生々しいのか、と思わせるのだ。
後藤みな子の作品も原爆によって家族が変質してしまった作者の痛切な憤りがストレートに伝わってくるようだ。少女の視点を通じて描かれるその描写は、管理人の心を鋭く射貫く。
また、金在南のように在日外国人の被爆体験、橋爪健が描いた第五福竜丸をテーマにした作品。小田実の水爆実験での犠牲、水上勉の原発を織り込んだ小説など、従来の戦争文学のステレオタイプ的なイメージを変えることまま違いなく、そうした意味で21世紀における「戦争と文学」の裾を広げる内容となっていることは間違いない。
戦争を直接体験した世代の多くが歴史の表舞台から退き、彼ら彼女らの証言も覚束なくなってきた。残されたのは記憶だけである。わたしは思う。いまや戦争をめぐる言説の最大の問題は記憶の欠如などではなく、むしろその過剰さではないか、と。ここで文学の出番だ。なぜなら、先行世代の記憶を豊かにするのも貧しくするのも、結局は想像力をおいて他にないからだ。現代人が直面する?記憶をめぐる戦争?のただ中で、この記念碑的なアンソロジーが刊行されたことを、心より慶びたい。
と語っている。
戦争体験が風化していくなかで、文学が想像力を呼び起こし、戦争を理解・伝承する役割を果たす。そのことで、私たちは戦争と平和という、自らの社会を正面から見つめ直す事が出来るのだ。