あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

日本フィル・第68回さいたま定期演奏会


金聖響 指揮
外山啓介 ピアノ

グリンカ:オペラ《ルスランとリュドミュラ》より序曲
ラフマニノフピアノ協奏曲第2番
チャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》

 10年近くご無沙汰だった、ソニックシティでの演奏会である。都内の演奏会に比べると、チケットが随分と安い。さいたま市民だと、それぞれ1000円割引なのだそうだ。もっとも、このさいたま定期演奏会シリーズは名曲シリーズと重なっているところもあるので、定番の曲ばかりである。第九演奏会を挟んで、次回はドヴォルジャークの新世界なのだから、そのコンセプトは窺い知れるだろう。

 それにしてもソニックシティの音響は相変わらずである。多目的ホールは結局のトコロ、無目的であるという朝比奈の指摘もあったが、ソニックシティもその例に漏れないような基がする。金管群は反響板もあって、音が前に出てくるが、弦楽器の音が豊かに鳴らないというのは結構致命的だと思う。音が前に出てこないというわけではない。ただ、弦楽器による中高音の豊かな響きははるか昔に立てられた東京文化会館の方がいいのだから、何とも情けない。
 地方都市の市民会館とさほど変わらないじゃないか、と思ったりした。ただ、今回は2階席と言うこともあり、それぞれの楽器はよく見えたし、音の分離も良かったのは吉とすべきか。

 まずはグリンカ。颯爽としたテンポによる曲だ。メリハリがきいていて面白い。ただ、オケはまだのってないような気がする。サントリーだとオーボエクラリネットの掛け合いがキレイに聞こえてくるのだろう。

 ラフマニノフピアノ協奏曲第2番は外山啓介をソリストに迎えた。
 3年前も名曲コンサートで同じようなプログラムによる演奏だったから、この3年間でどのように変化しているか、大いに気になるところである。
 冒頭のピアノによる和音の連打はアルペジオ気味に弾いていた。多分、前回は違っていたと思うので、曲の解釈になにがしかの変化があるのだろう。徐々にクレシェンドしていく。この部分は教会の鐘の音だとすれば、そんなところなのだろう。
 テンポは全般的にゆったりしていた。外山のピアニズムは以前と同様に、ピアニストとしては痩身だから、その恵まれた長身であるにも関わらず、繊細な音を出す。ただ、これはラフマニノフにしてみれば、どうなんだろうと言う気もしなくはない。ロシア的な泥臭さとか、ロマン臭はほとんど脱臭されてしまう。都会的に洗練された、華奢なラフマニノフとでも言うべきか。
 以前はミスタッチも散見されたが、今回は舞台慣れしたのだろうか、目立ったミスもなく、のびのびと弾いていた。ともあれ、リヒテルアルゲリッチには敵わないだろうが、せめて伊藤恵上原彩子よりはダイナミズムのあるピアノを聴かせて欲しいとも思う。3楽章のトゥッティなんかはもっと弾けて良いはず。

 アンコールはベートーヴェンの月光から、2楽章。
 付点の処理が意識的である。この曲の成立年代を考えると、音楽史的には正解なのだろう。ただし、管理人のアタマにはケンプやアラウあたりが居るので、そんなに跳ねなくても良いじゃないか、とおもうが。多分、アンコールのこの曲を弾いたのは次のソロリサイタルがオールベートーヴェンプログラムだからだろう。

 演奏中に思ってしまったが、外山はメンデルスゾーンのような曲の方が相性が良いんじゃないか?なんて思ったり。(本人はアシュケナージあたりを理想においているのかもしれないが)

 後半のチャイコフスキーは、ピリオド奏法の視点をチャイコフスキーに盛り込みました、と言うような演奏だ。さっきのラフマニノフと一緒で、チャイコフスキーのロマン性とかロシア臭は無い。時々、ハリウッド映画のBGMのように響く。こんな悲愴は初めてだ。
 提示部の弦楽器によるメロディは歌わない。弾いてはいるのだが、意識的にボウイングにそうした指示を出しているのだろうか。甘美さはほとんどない。コレは凄い。ハイドンを弾くときのようにサクサクと進む。(ハイドンに失礼か)

 第二楽章でも基本的に変わらない。それが、プラスに作用するのは3楽章のスケルツォになってからだ。金聖響はストレートにエネルギーをぶつけるから、ここでの推進力は凄い。また、低弦は押さえるモノの、金管と打楽器はしっかりと弾かせる為、場所によってはブラスバンドのような輝かしい響きが生まれている。特にティンパニと大太鼓は強烈だ。パンチの効いた音楽になっている。

 4楽章では、3楽章でギアが上がったのか、オケは随分大きな音を出してダイナミクスを多くとって演奏していた。最初からコレくらいの大きさで弾けばいい演奏だったのに。ここでもテンポはアンダンテくらいだ。

 悲愴を聴くときにはいつも気になるのが、3楽章が終わったところで拍手が出るかどうか、終楽章の休符を待てずに拍手してしまうかどうか、だとおもう。大体、都内の定期演奏会以外では危ない。そして、結論から言えば、懸念的中である。今回も3楽章終了後に拍手が飛び出した。指揮者はここをアタッカで演奏していた為、そのまま4楽章になだれ込んでいたが、拍手していた人は「まさか」な展開だったのだろう。なんだかビクついていた。 
 終楽章の拍手も、まあ…、そうなんだろうね。でも休符がついているからね。そこまでが音楽なのよ、と思ったが、しょうがない。期待を裏切らない「安定の埼玉クオリティ」であった。