あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

国立西洋美術館(上野) プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影


2011年10月22日(土)〜2012年1月29日(日)

・主催者側HPより

鋭い批判精神によって社会と人間の諸相を捉え、近代絵画への道を開いたスペインの巨匠、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746−1828)。その作品はヨーロッパ社会の一大変革期の証言であるとともに、時代を超えて私たちの心に響きます。本展はプラド美術館のコレクションから選ばれたゴヤの作品72点に、国立西洋美術館などが所蔵する版画51点を加え、彼の芸術のさまざまな側面を紹介します。

 数日仕事が一段落した(明日からまた忙しい)ので、半休取って、上野にゴヤ展を観に行く。上野公園はすっかり木々が色づいて美しい。

 (これはゴヤの自画像)
 ゴヤといえば、管理人のイメージは抗仏戦争で抵抗する住民を虐殺するフランス軍兵士を描いた「マドリード、1808年5月3日」が思い浮かぶ。ただ、他の作品は余り思い浮かばない。まあ、単純に美術に疎いと言うこともあるのだろうが。
 しかし、何と言っても「あの」プラド美術館である。マンガやドラマでネタのように出てくる(のか?)プラド美術館からゴヤばかり多数の作品が来ていると言うではないか。それも72点も!! 国立美術館でやるから、それなりに作品も集まってるだろうし、とかく期待していったのである。

 とはいうものの、期待値が高かったせいか、ちょっと肩すかしを食らったという印象だった。わが家にある美術全集(ゴヤ)にあるような作品が結構見られるかなぁ…どれもこれもプラド美術館蔵ってかいてあるしなぁ…と思っていたけれど、油彩作品の展示は意外と少なく、版画作品とか素描集によってゴヤの人生を追っていくような展示をしていた。

 今回の展示はゴヤの社会を見つめる批判的な眼差しや、社会や人生におけるその暴力や無慈悲さをテーマとしているような印象だった。聴力が失われてから、人生観が変わったとか、その激動の人生の中で人生観が深まっていったというような話は余り出てこない。
 宮廷画家になったり、晩年に亡命したフランスでも活動していたりと、ゴヤの日常的な人生(というか世俗的なところ)も関係しているとは思うんだけど、どーなんだろうか。

 (だから、宮廷画家としてこんな王子の肖像を描いたりもする。王子、6歳にしてイケメンだな。笑い)
 書いてある文章で一番納得できたのはうろ覚えだけど「ゴヤは古典最後の画家で近代最初の画家だった」というようなプラド美術館館長の言葉。たしかに宮廷画家として肖像を多く手がける一方で、市井の多くの名も無き人々の人生観のようなものを(版画とか素描とかが多いけど)残しているのはまさに近代の幕開けにふさわしい。
 それと共に、他の画家と違って、人生とか社会をかなりシニカルに見ているなぁ…とおもった。特に世俗の権威と化した教会にたいする批判は凄いものがある。ただ、啓蒙思想の裏返しで「宗教はちゃんとあるべきだ!」みたいな意識は感じられる。それが、理性的ともいえるような宗教画なのだろう。

 ともあれ、ゴヤの油彩作品を見るならやっぱりプラドまで行かなきゃいけないのかな、なんて思ったりした。

 ただし、40年ぶりに「着衣のマハ」が来ている。どうせなら両方並べればいいのにと言う素人的な感想でおわり。