あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

外山雄三、80歳のマーラー

第808回サントリー定期シリーズ

指揮者にして作曲家、外山雄三が築くもの

職業指揮者が誕生する19世紀半ばまで、作曲家は指揮者の役割を兼ねていました。曲が複雑になるにつれ、より高度な指揮技術が必要となり、専門的な指揮法を学んだ作曲家も多く、その代表格がマーラーであり、日本では外山雄三その人です。作曲家だからこそできる深い解釈、外山雄三マーラーにご期待ください。
指揮 : 外山 雄三
チェロ : 宮田 大
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団
外山 雄三 / チェロ協奏曲 作品61
マーラー交響曲第5番 嬰ハ短調

 久々の東京フィル定期、それもサントリーホールである。
 ただし、最大の難関は予定通りに仕事が終わるかどうかだった。早々と予防線を貼っておいて、超過勤務分の調整をとったから、目論見通り、早々と夕方の都内もぶらつきながらのサントリーホール着である。

 外山雄三による自作のチェロ協奏曲。もちろん(笑)協奏曲は初耳だ。「あの世代」だけど、ヒンデミットっぽいような雰囲気の曲に、民謡的なフレーズやハーモニーが所々で顕れる、外山「らしい」曲だった。
 もっとも、外山の音大時代の師は下総皖一(自分の中学の校歌も下総だなぁ…)だから、また、確かにそうなのかも。ともあれ、チェロ協奏曲で言えば別宮貞雄レベルにはなってない。まあ、自作自演だから、慣れたものであり、オケも良く応えていた。

 ソリストの宮田大は5年ぶりくらい(?)に聴いたが、ヘンな言い方になるが「ずいぶん立派に」なった。堂々たる演奏でまったく危なげない。実に伸びやかに、豊かにチェロを弾く。この世代の奏者だけが聴かせる、実に健康的な音楽で、曲にもマッチしていた。

 マーラーの5番は昨今聴くようなタイプの演奏ではない。その解釈は堂にいったものだったが、聴いている最中に山田一雄を思い出してしまった。もちろん悪い意味ではない。多分、位置づけで言えば、一世代前のマーラー演奏だと思う。
 ただ、これは外山の志向性なのだろうか、アンサンブルはもっと緻密になるように思う。良く言えば、マーラーのうねるような情念うごめく曲になっていたが、悪く言えば、それぞれのパートが絡まり合って、ダンゴ化した響きであった。
 邦人演奏家で5番は若杉や小林、飯守などで聞いてみたけれど、そのなかで一番渦を巻くような演奏だった。
 ちなみに、猛烈なフライングブラボーがあったが、それは管理人の前の席のオッサンだった。自分は前列中央で聞いていたので、思わずその横顔をまじまじと見つめて、視線を送ったが意に介さず拍手し続けていた。
 ともあれ外山雄三80歳、「矍鑠」なんて言葉は失礼なほど若々しい。さて、第二の朝比奈隆になるか………!?