そもそも意識が低いから
ネット界隈で「ある小学生が描いた人権ポスター」がネタに上がっている。
ネタになると言うことは、それが事実の一端を示しているから、という「一種の祭り」的な要素もあるのだろう。
- 作者: 北田暁大
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2005/02/24
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だが、ポスターでは「本物はやたらと言わない」そうだ。そこに「すばらしい」とかコメントがついているけれど、「やたらと」人権に対してコミットすることを拒絶することは、権意識がいつまで経っても高まらない、これらの事件に対して「それは人権問題である」という問題意識は起こらないのだ。 仮に、そのポスターを描いたという小学生に訊いてみると良い。「人権侵害の具体的な場面とは何ですか?」って。恐らく答えられまい。個人的には、そうした想像力の欠如は致命的だと思う。
義務教育レベルの確認だが「人権は人として生まれた以上、当然保障される権利」だ。そこに「人権を保障したない自由」はあるのか?
思想の自由としてはあるだろうが、例えばそれを発表したとして「人権擁護と同じように保護されるべし」なんて思うのは勘違いも甚だしい。
壮大な社会実験?
もう、リンクが切れているんだけど
“大阪とは違う?” 京都は教員応援 府教委が新規事業続々 (京都新聞)
京都府教育委員会が新年度当初予算案で教員の自主的な課題研究や自己研さんを応援する新規事業を相次いで打ち出した。大阪市の橋下徹市長が教員「管理型」路線を進め、賛否を含めた関心を集めるが、府教委は「大阪流の教員管理強化は不要だ」とばかりに「励まし型」で一線を画す。 府教委は教員が自主的に新たなことに取り組みやすい環境を整え、意欲を引き出そうと、二つの新たな教員支援事業を設け、予算案に盛り込んだ。
なんだか京都と大阪で社会実験みたいになってる。
シバキ上げ主義の大阪と、現場の意欲を引き出そうとする京都。はてさて、今後10年くらい、教員募集での倍率や離職率、生徒の退学率など、丁寧に比較していけば、どちらの政策が子どもたちのために資することになるのか、ある程度の「結論」が得られるかも。
フィンランドの教育方針からすると、後者の方が最終的に効果的なハズなんだが。
短期的には劇薬は効くよね。サッチャー改革とか、そうだったし。それだけじゃないけれど、未だにイギリスはあの時の負の遺産から立ち直っていないように見受けられるが、果たして…。