あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

結果責任

東日本大震災:お墓にひなんします 南相馬の93歳自殺 - 毎日jp(毎日新聞)
「私はお墓にひなんします ごめんなさい」。福島県南相馬市の緊急時避難準備区域に住む93歳の女性が6月下旬、こう書き残し、自宅で自ら命を絶った。東京電力福島第1原発事故のために一時は家族や故郷と離れて暮らすことになり、原発事故の収束を悲観したすえのことだった。遺書には「老人は(避難の)あしでまといになる」ともあった。

 半年ぶりにこの記事に目を通す。何ともやりきれない気持ちになる。しかしこれは「やり場のない怒り」などではない。政治は結果責任だ。命で償えなどとは言わない。しかし、政策決定過程にいたものや運営側はきちんと社会的、道義的責任をとるべきだろう。
 なぜそんなことをいうかといえば、

東京を救ったのは菅首相の判断ではないか
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2012030800005.html
私自身が、これまでの取材と、この報告書の内容も含めて感じているのは、「菅首相は細かく介入し、混乱もしたが、東電の撤退を止め、『東京も避難』という事態を防ぐ大仕事をした」ということだ。

 メディアは一体何をしているのか?
 まさに「政官財」の鉄のトライアングルに「学」が加わった巨大な「原子力ムラ」が危機に対して全く役に立たなかったことが、報告書を丹念に読めば明らかだろう。だが、原発対応をめぐるメディアの「菅批判」はこの「原子力ムラ」では読売を筆頭に嬉々として行っている。
 わずかに、これに批判的な東京新聞などがこの世界の異常性を指摘しているが、批判の俎上にのぼる人びとに反省の色は見られない。