あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

それはネタでもなく

 橋下徹の政治手法を「ファシズム」をもじって「ハシズム」と言ったりするが、最近、一周してどうもこの表現は的確であったのではないかという気がしている。
apesnotmonkeysさんのところから、孫引きになるが

○有馬国務大臣 教育公務員として、あるいは教員として、地方公務員としての制約はございますね。ですから、その制約と、御自分の、教員一人一人が持っている内心の自由、今その両者の関係を御質問だと思うけれども、その人が仮に内心の自由で何かをしたくなかったときに、その人が最終的に内心の自由でしないということは、それはやむを得ないと思いますけれども、しかしながら、教育をする人間としての義務は果たさなければいけない、そういう問題が私はあると思うんですね。

 ですから、その人に、本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理やりにする、口をこじあけてでもやるとかよく話がありますが、それは子供たちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理やりに口をこじあける、これは許されないと思う。

 しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、ほかの人にも自分はこうだということを押しつけて、ほかの人にまでいろいろなことを干渉するということは許されないという意味で、合理的な範囲でということを申し上げております。

 というように、国旗国歌法制定当時の(自民党)有馬文相答弁はこのようになっている。これにより受ける教育公務員の制約は「不起立」を「他者に強要」する内心の自由であり、教員個人の不斉唱は許容されうるとの見解だ。
 だが、大阪で起こっていることと言えば

国歌斉唱「口動いてない」教員、校長がチェック(讀賣新聞)
 大阪府立和泉高校の卒業式で、国歌斉唱の際、教職員が本当に歌っているかどうかを、校長が口の動きで確認していたことがわかった。

 口が動いていなかった教員のうち、1人が歌わなかったと認め、府教委が処分を検討している。国歌起立条例を提案した地域政党大阪維新の会代表、橋下徹大阪市長は「服務規律を徹底するマネジメントの一例」と絶賛。しかし、その徹底ぶりに反発もある。

 同条例の成立を受け、府教委は府立学校全教職員に、起立斉唱を求める職務命令を出していた。和泉高の中原徹校長によると、今月2日の卒業式では、教頭らが教職員約60人の国歌斉唱時の口の動きをチェック。その結果、3人の口が動いていないとして、個別に校長室に呼び、1人が「起立だけでいいと思った」と不斉唱を認めたという。 

 橋下本人は命令に従うかどうかという、君が代を「絵踏み」的な、一種の支配の道具としか見なしてないとおもう。だが、その取り巻き連中はむしろそうした行為が目的へと転化している。
 芝健介『ホロコースト』によるとヒトラーユダヤ人問題の最終解決について、当初から明確な構想を持っていたとは言い難いとしている。むしろ、アウシュヴィッツに代表されるような絶滅収容所は、ヒトラーの側近らによって、ヒトラーの意図を酌み取るカタチで計画されていった。
 (白い)「ファシズム」から「ハシズム」と呼ばれるには、先に挙げた事例は充分だとおもうが、果たしてどうなのか。