あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

高山裕二『トクヴィルの憂鬱  フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生』を読む

トクヴィルの憂鬱: フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生

トクヴィルの憂鬱: フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生

出版元である、白水社のHPより

初めて世代が誕生するとともに、青年論が生まれた革命後のフランス。トクヴィルロマン主義世代に寄り添うことで新しい時代を生きた若者の昂揚と煩悶を浮き彫りにする。

「大革命後のフランスでは、ナポレオンが失脚した後、社会の枠組みは定型化する。そんな閉塞する時代に生まれたのが「青年論」だった。……そして今、若者論が溢れるこの時代、トクヴィルロマン主義世代の声は、いっそう切実なものとして響いてくるはずである。」(序章より)

「何者でもない」世代の誕生
 「かれが剣で始めたことを我はペンで成し遂げん」。そう暗い屋根裏部屋でナポレオン像に誓ったバルザック。「シャトーブリアンになりたい。そのほかは無だ」と断言したユゴー。そして、自らのステータスを誇示しようと、競って馬車を疾駆させた無数の若者たち。
 旧体制の桎梏から解き放たれた大革命後のフランスは、誰もが偉大な英雄になろうと思い詰め、その途方もない野心を持て余して悩んだ時代だった。
 一方、ナポレオン失脚とともに閉塞する社会のなかで「立身出世」の途を断たれ、「何者でもない」自分に直面させられた若者たちは、歴史上初めて〈世代〉意識を共有するとともに(青年の誕生!)、巨大なロマン主義運動を展開してゆく。
 『アメリカのデモクラシー』『旧体制と大革命』で知られるアレクシ・ド・トクヴィルもこの時代を生きた一人だ。本書は、これまで「大衆社会預言者」として聖化されてきたかれをロマン主義運動の坩堝に内在させて理解する試みである。
 憂鬱、結核、そして自殺が社会問題として浮上し、精神医学が産声を上げたこの時代におけるトクヴィルロマン主義世代の声は、若者論が氾濫する今日、いっそう切実なものとして響いてくるはずである。

 著者の郄山裕二は早稲田大学助教で、本書は著者の博士論文を単行本化したものだ。その後、日仏会館主催の「渋沢・クローデル賞」を受賞したことからも伺えるように、単なる博士論文にとどまらない、本格的な研究書である。
 管理人とは年齢にして3歳ほどしか変わらないのだが、その精密な仕事ぶりには脱帽させられる。それは多分、師である松本礼二早稲田大学教授の研究姿勢も大いに影響しているのではあるまいか。原典資料の詳細なる引照もさることながら、歴史研究のように同時代の資料にも目配りができていて、その意味で言うとこの年齢でないとできないような仕事っぷりである。


 本書はトクヴィルの憂鬱というタイトルがつけられているが、おそらく副題である「フランスロマン主義と世代の誕生」の方が本書の特徴を言い当てているように思える。フランス革命以前の古典主義の文学は、他の芸術形態における「古典主義」同様に「形式(フォルム)」の枠の中で作品を完成させる。
 その後、1789年のフランス革命以後、作者の主観をそのまま作品に反映されるロマン主義が登場する。もっとも、そこにはフランス革命後、復古王政があり、抑圧された環境の中で、1789年革命を経験した人びとが自己を自由に発露したいというな意欲があったから、ロマン主義がうまれるのである(と管理人は理解した)のであるが。

 トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』は読んでもその作品はロマン主義の文学作品であるとは言えないだろう。だからこそ、「トクヴィルの憂鬱」と「フランスロマン主義と世代の誕生」なのだ。つまり、トクヴィル自身は必ずしもロマン派に属するわけではない。アレクシ・ド・トクヴィルという名前が示すように貴族であるトクヴィルロマン主義的なものに影響を受けつつ、それとは距離を置いていたのは当然と言えば当然である。しかし、「にもかかわらず」ともいうべきなのだろうか、この時代に活躍したユゴーらと同じように、トクヴィルもまた「ロマン主義世代」としての考えられる要素を持っているということなのだ。

 そして、この時代は「俺はナポレオンになる」というほどの大志を持つことはできないかもしれないが、それでも「自分は何者か?」「自分は何者かになれるかもしれない」というような、青年の煩悶を持つ(持たせる?)時代の幕開けでもある。だから「ロマン主義」なんだろうけれど。それでいえば、トクヴィルの「憂鬱(メランコリー)」もそうした延長線上に捉えることができるのではないか。

 だとすると、HPにも紹介されているように、本書はまず、トクヴィルを手がかりとした当時のフランス社会におけるロマン主義および、そうした「世代」の問題における政治思想・文化史における意欲的な研究書であるとともに、現代の若者論にも一つの示唆を与える社会学的な著作であるとも言えると思う。

 ともあれ、ホントに骨太の著作であり、中も含めて丁寧に読めば読むほど、脱帽してしまう。ちなみに管理人は註を一生懸命読むことを途中であきらめてしまった(苦笑。)