あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

プラハ旅日記1 プラハ城

 本当ならドイツに行こうとしていたのだけれど、紆余曲折を経て、プラハになった。実は管理人にとって人生発のヨーロッパである。
 チェコ共和国の首都プラハまでは直行便が出ていないため、必ず経由地を挟んでのフライトとなった。普通はフランクフルトやアムステルダム、ウィーンあたりらしいけれど、ドバイ経由が結構安いという理由でドバイ経由、プラハ行きだ。


 今まで旅行の記録は日ごとにつけていたけれど、今回は気になったところをpick upする方針にしてみた。行程が気になった人は、ご一報ください。
 さて、プラハ最大の観光スポットはプラハ城だろう。城と言っても日本みたいに天守閣があって…というのではなく、中心部には聖ヴィード大聖堂なる教会があって、その周りに宮殿があったりする。写真から見る、一番大きな建物が大聖堂だ。

 プラハ城は丘の上に立っていて、正直なところ高尾山くらいは登っていく。ただし、城の裏手側に路面電車の停留所があるので、城をくまなく見て、丘を降りてゆくコースをとると、疲労もなく楽しく見学できると思う。それほどまでに見所が多い。

 裏門に当たるのだけれど、ここにも衛兵さんが立っている。ちっとも動かない。バッキンガム宮殿のそれと同じなのかな。




 大聖堂。何でも原型は10世紀からあるそうだから大したものだ。ただし、現在の形になったのは18世紀なんだとか。時代は前後するがバロック建築なのだという。伝聞形になってしまったが、いかんせん、ヨーロッパのバロック建築を見たのが初めてなのだからしょうがない。

 バロック建築は中世において勃興した都市商人たちの「天上へ…」との思いが表れたものだという。確かにその垂直方向へ伸び上がる巨大な構築は圧巻だ。


 聖堂内にあるステンドグラスで、とりわけ鮮やかな色使いをしているのはミュシャ(ムハ)の作品なのだそうだ。ここにある教会にあるステンドグラスを見ると、古代から芸術が教会権力と密接でったことが痛切に思い返される。




 懺悔室やら、祭壇やらまあ、いろいろだ。
 混んでいたので取り損なったが、2tの銀を使った像も必見だ。

 とはいえ、やっぱり、この荘厳なバロック建築をまずは堪能するべきだと思う。


 プラハ城はこのほかに、「黄金の小道」と呼ばれるかつての職人(錬金術師)の長屋のようなもの(上のブルーの家にカフカが一時住んでいたという)や、旧宮殿、宮殿(美術品の展示)など、本当に見所がいっぱいあって、時間が足りなくて困る。