あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

トロイラスとクレシダ@さいたま芸術劇場

美しき男たちによる、オールメール・シリーズ第6弾、喜劇から悲劇へ。
“愛”と、“闘争”と、“官能”!!

たとえ愛のための戦争であっても、そこには悲劇しか生まれない。

彩の国シェイクスピア・シリーズ第26弾は、
『お気に召すまま』『間違いの喜劇』『恋の骨折り損』『から騒ぎ』『じゃじゃ馬馴らし』に続く、
人気沸騰のオール・メール《男性俳優のみ》の上演。
これまでの喜劇5作品は、いずれも大きな話題を巻き起こした。
今作で、同シリーズ初の悲劇を蜷川幸雄が手掛ける。
主演トロイラスには『じゃじゃ馬馴らし』の好演が記憶に新しい山本裕典
クレシダ役には娘役で高い評価を得ている月川悠貴。
ほか見目麗しく、実力を兼ね備えた俳優陣が顔を揃えた。
シリーズ第25弾『シンベリン』で国内外から絶賛された世界のニナガワが、
日本での上演の少ない『トロイラスとクレシダ』に挑む!この貴重な機会を見逃せない!!

【ストーリー】
トロイ戦争のさなか、トロイの王子トロイラス(山本裕典)は、神官の娘クレシダ(月川悠貴)に狂おしいほど思いを寄せていた。クレシダの叔父パンダロス(小野武彦)の取り持ちによって、2人は結ばれる。永遠の愛を誓い合った2人だが、捕虜交換によりクレシダは敵国ギリシア軍へ送られる。時がたち、軍使としてギリシア陣営に訪れたトロイラスが見たものは、新たな恋人と抱き合っているクレシダの姿だった―

演出 蜷川幸雄
作 W.シェイクスピア
翻訳 松岡和子

出演
山本裕典(トロイラス)
月川悠貴(クレシダ)
細貝圭(アイアス)
長田成哉パトロクロス
佐藤祐基(パリス)
塩谷瞬(ディオメデス)
内田滋カサンドラ

小野武彦(パンダロス) ほか

 千秋楽の前日に観ることができた。シェイクスピアの中ではマイナーな作品で、実際、有名ドコロに較べるとどーなんだろう?と思うこともある。というのも、『トロイラスとクレシダ』は「悲劇」とも「問題劇」とも位置づけられる。それは、オセローやロミオとジュリエットのように悲劇できっちりと「終わる」作品じゃなくて、「どうなるんだろう?」と思わせる終わり方をする作品だからだろう。
 
 以下、感想。 
 舞台は一面に広がるひまわり畑が印象的だった。それを適時出し入れしながら使っている。使っている、といえば今回は客席全体を演技空間として効果的に使っていた。多分、蜷川さんの複数人いる助手さんにそういうのを得意とする人がいるのだろう。
 座長の山本裕典は連日の流石に声が掠れ気味だった。発音も英語ならともかく、日本語なんだけれど端々で単語が聞き取れないところがあった。「シェイクスピア」だから、また「古典劇」、「翻訳劇」であるから尚更、普段とは異なる言い回しが要求されるし、単語や言い回しも山本くらいの世代ではまず使わないであろうそれであったから、苦労したと思う。今回は、小野武彦らベテランも加わっていたから、どうしても較べられてしまい、その点でもう一息だと思う。だが一本気のある若い王子像をうまく演じていたと思う。
 ところで、いま挙げた小野武彦はプログラムによると初蜷川作品かつ、初シェイクスピアだという。しかし、抜群の安定感だ。トロイラスとクレシダの取り持ち役としてのパンダロスにカッチリと嵌っていた。どうしても、今回のオールメールシリーズは若手が中心的な役どころだから、勢いが出すぎてしまう。けれど、それが小野の登場によって、実に重みが出てくるのだ。
 更に付け加えると、脇を堅めるテルシウスのたかお鷹、ユリシーズ原康義ヘクトルの横田英司は「これぞシェイクスピア」とため息が出そうになる見事な台詞まわしだった。まさに圧巻。ちなみに、ギリシア側の登場人物は全員、金髪である。だから原康義らも当然金髪である。「頭皮は大丈夫か」なんて余計な心配をしてしまった。

 若手ではアイアス演じる細貝圭が爽やかな猪突猛進ぶりを「魅せて」くれた。思慮が足りないが、気持ちの良い「漢」っぷりにピッタリだった。
 若手俳優が目立つオールメールシリーズも、今回は久々に稽古中の蜷川節が炸裂していたようで、それも気になった(笑)。蜷川曰く「1000本ほどじゃないけれど100本ノック」くらいはしていたようで、結構今回は若手を中心にダメ出しをされていたらしい。
 ただ単純に雰囲気で流してしまいそうなセリフの読み方やイントネーションにも拘る、蜷川の指導はある意味厳しいのだろうなぁ・・・と想像できる。ただ、シェイクスピアのような「古典」の「翻訳劇」を真正面から手加減なしに、それも第一人者である蜷川の指導の下にやるのは彼らにとって凄まじい経験になるんだろうなぁ…。なんていうのを観ている側も感じずにはいられない芝居だった(かつてかじった人間として)。


 ともかく、色んな意味で楽しかった。