東京と交響楽団「作曲家の肖像」シリーズVol.92《ドビュッシー》
日時:2013年6月30日(日)14:00開演(13:20開場)
やっぱりリニューアルした東京芸術劇場はなかなかイイホールになった。
まず、椅子が硬くなくなった。あの粗末な椅子では途中で尻が痛くなるのだが、そういう心配が無くなったのは有り難い。以前も書いたと思うけれど、中低音が豊かに響くようになり、音に丸みが帯びて残響も増えたように思う。ちゃんと調べていないんで印象論になってしまうのだけれど。
今回は梅雨の鬱蒼としたなか、ドビュッシーの爽やかさが広がるイイ演奏会だった。指揮者はフルシャであり。チェコのフルシャがドビュッシーを!?と言う気がしなくもない。ドビュッシーと言えば都響=フルネの黄金コンビによる数々の名演があって、その記憶が奏者や聴衆にはあると思う。
今回はそうしたフルネを聴いていて時に感じた19世紀フランスの残滓的な響きと言うよりもステレオタイプ的になるかもしれないけれど、これがフランス音楽だよね、みたいな演奏と言えばいいのだろうか。もちろん、悪い意味じゃなくて、演奏は水準を十分みたいしていた。もっとも、フルネを聴いてしまうと基準点が高くなってしまうのが良くない。彼らのお国モノを演奏するときの確信的な表現に比べるとまだなんだろうな。
それはきっと伊福部の演奏を山田一雄の演奏で聴くのと、外国人演奏家で聴く(どちらもCDが出ているけど)と「ああ、やっぱりな」と思うのと同じなのだろう。
ともあれ。
初めて聞いた「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」はハープの幻想的な独奏とも相まって何とも嫋やかな空気がホールを満たしているかのようだった。
海は若いんだからもっと暴れてもいい気がする。ミュンシュのライブとか、あそこまで行かなくてもやりきってしまえばいいのいなぁ・・・。なんて。