あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

盛岡旅行2(宮古編)

 翌日は朝から宮古へ向かった。盛岡市内から片道1.5H程度だろうか。道路事情によっては2H弱かかるかもしれない。
 盛岡は盆地にあるので、峠を越えないと太平洋側には着かない。だから東西方向への移動は距離の割に時間がかかる。
 それにしても岩手県は広いよな。日本で一番大きな県だということを実感する。



 景勝地でも有名な浄土ヶ浜(当日は海水浴に来ていた家族連れがいっぱいいた)にある休憩施設。2階の柱のにある「津波浸水ライン」のトコロまで津波が押し寄せたらしい。
 被害直後の様子がパネルとして設置されていた。ホントに強烈である。




 次は宮古市の中でも特に被害の大きかった田老地区へ行く。
 ここでは観光協会の方がガイドとして説明してくださった。有り難いことである。
 もともと地震の際に津波があった土地柄、防潮堤が街の中心に幾重にも築かれてきたのだが、写真で見るように、津波の破壊力はすさまじく防潮堤そのものも破壊し、また波は易々と防潮堤を乗り越えていった。
 この防潮堤の手前=海側にも住宅がびっしりと建っていた(地震前の街の写真を見せてもらった)けれど、今は全くなくなってしまっている。
 復興にあたって、津波被害にあったところには住宅を建てず集団移転して、この場所には倉庫や工場などを建てるようだ。


 このホテルも3階部分まで津波が来て、2階まで完全に破壊されいる。
 移動しながら住宅を観察してみたけれど、地震による被害よりも津波による被害の方が圧倒的に大きいなぁ、と。(それでいえば関東大震災以降の日本の建築基準法その他による防災対策は有効であったと言うことだろう)
 去年の女川もそうだけれど、復興にはまだ時間がかかる。