あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

2013 ハノイ旅行(3日目)

 3日目はハノイ市内観光をした。
 最初はバッチャン村へ行く。バッチャンは焼き物が盛んで、ハノイから10kmくらいの村ということだ。集落がぽつんとあるのではなくて、ハノイ市街が続いていて、住宅地や水田も見られるようになったかなーと思ったらバッチャン村に到着してしまう。という感じ。
 





 実際にここでは手作業で彩色したり、ろくろを廻していたりする。さすがに自分が見た工房はガスを使って焼いていたがそれでも多くは未だに手作業な感じがなんとも人間の息遣いを感じさせて面白い。手作りなので、一つ一つ似ているけれど微妙に違う。管理人はここで鍋敷きをお土産として買った。
 バッチャン村を後にして、ちょっと早めの昼食をとる。

 昼食も現地の友人にヴェトナム料理のビュッフェを食べられる店を紹介してもらう。
 ビルの15F(くらい)で市内も一望できて外国人観光客も多い。けれど、小ぎれいな感じの現地の人も結構来ていた。





 昼食後、最初に向かったのはホー・チ・ミン廟である。ここにはホー・チ・ミンの遺体が永久保存されているとのこと。ホー・チ・ミン自身は遺骨を北部・中部・南部にそれぞれ分骨して欲しいと遺言したというが、「社会主義国あるある」で残念ながら死してなお、国家統治のために偶像崇拝として利用されている。チェコや中国もそうだけれど、この手の建国者の偶像崇拝マルクスの思想からは一番遠いところにあると思うのだけれど、為政者側はそうは思わないんだろうな。彼らがどこまでマルクスを理解していたかは正直怪しい。(個人的には運動理論としてマルクス主義を利用しただけでその本質はナショナリズムのように思う)
 その後、一柱寺(いっちゅうじ)に向かう。国王リー・タイトンが子どもに恵まれず……というよくある話である。お札にこの一柱寺が描かれているくらいシンボリックな建物だ。
 そしてタンロン遺跡・かつてのハノイ城趾である。月曜定休!!入り口のみで非常に残念。
 その後は孔子廟ならぬ「文廟」へ。北ヴェトナムは冊封体制下にあったから科挙も行われていたようだ。合格者がずらずらと石碑に刻まれている。





 その後はフランス植民地時代につくられたホアロー収容所(市街のど真ん中にある)を見る。明治の刑法博物館ではレプリカを見たことがあるが、本物のギロチンを見たのは初めて。なかなかパンチが効いている。夜とか行きたくない(苦笑)。
 その後、博物館を見学してこの日は終了。日本と違って、博物館では閉館時間の5分前に展示室の照明を問答無用で消されてしまった。日本だとクレームの嵐だと思うが、むしろこっちの方が正しい気がする。日本はサービス精神過剰すぎて労働にはちっとも優しくない。スマイル0円とか止めた方が良い。

 夕食は地元の人たちも来る「ブン・チャー」(米粉で作った麺)の専門店に行く。正直、案内がないと分からない。さすがに現地にいるとよくわかるなーと、改めて友人に感謝。揚げ春巻きに、焼肉のたくさん入った付け汁、また青パパイヤのスライスしてある付け汁に麺を付けて食べる。かなり美味い。そうめんみたいな食感だった。