あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

早川タダノリ『神国日本のトンデモ決戦生活 』(ちくま文庫)

神国日本のトンデモ決戦生活 (ちくま文庫)

神国日本のトンデモ決戦生活 (ちくま文庫)

「決戦生活」「決戦型ブラウス」「決戦盆踊り」「勝利の特攻生活」「アメリカ人をぶち殺せ」…。凄まじい戦意昂揚キャッチフレーズ群に塗りつぶされていく戦時下の日本を、当時の雑誌やパンフレットをもとにユーモアを交えた文章で楽しく紹介。神がかりプロパガンダと大衆動員によって作り出されたグロテスクな反‐理想郷(ディストピア)がここにある。しかし、これは近未来の日本の姿ではないと言い切れるだろうか?カラー図版多数収録。

 もう10年くらい前になるがNTVで「ブラック・ワイドショー」という深夜番組があった。その中では北朝鮮による少年律動体操なる不思議な体操が紹介されていた。その頃と相前後してメディアでは北朝鮮の狂騒的なスローガンや生活がTV番組で面白おかしく紹介され、われわれ視聴者もオカシイ国・北朝鮮という認識をしていたと思う。しかし、ここで紹介されている戦中期の日本は一体どういうことだろう?
 まさに当時の日本は生活のあらゆる部面に軍国主義イデオロギーが充満する「神国日本のトンデモ決戦生活」なのであった。しかし、そういった意見に対して「当時の人・祖先はその中で必死だった。それを今の価値観でオカシイとか狂っていると評するのは間違っている」とコメントする人たちがいる。では、彼らが冒頭に挙げたような現在の北朝鮮のおかしさに、当時の日本人に対するのと同じ深さで同情し慮るかと言えば、全くそんな事はない。
 どちらも全体主義国家であり、国家目標のために個人を抑圧していてケシカラン、とするためにはどちらも深刻に受け止めるか・どちらもトンデモと嗤うかのいずれかを採ればよいのではないか。本書は後者の目的のために読まれると良いと思う。また、「大東亜共栄圏」建設のために政府がどのように働きかけたか、それに対してメディアはどう迎合していったか、メディア史の一資料としてみても面白いだろう。

 あれほどの「超国家主義」が生まれた背景として、官民挙げての一大プロパガンダがなければ成立しないし、そこには大衆社会・資本主義・マスメディアと言った関係も当然考慮に入れねばならないだろう。っそれで言えば、『NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか 下』(NHK出版)や、戦後第一世代である、保坂正康『敗戦前後の日本人』あたりも一緒に読まれると良いと思う。

 社会主義たる、北朝鮮はまさに左翼であろう。
ではアジア・太平洋戦争時の「超国家主義」にあった「大日本帝国」は決して左翼とは言えまい。(もはや「超」がつくほどの保守だとおもうが)
 しかし、ここに載っている当時の日本の生活は一体何だろう?
 つまり、思想の左右を問わず、全体主義国家というのは同じような帰結を採る、とも言えるのだろう。