あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

「博士と彼女のセオリー」を観る

博士と彼女のセオリー

原題「Theory of everything」つまりは「万物の理論」。
万物の理論と良いながら、博士と彼女には理論は果たしてあるのだろうか?というのが最初の感想だ。

 あらすじを言ってしまえば、ホーキング博士と博士を支える妻との物語だ。
 現在も有効な治療法がないALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹りながら、ブラックホールや時間を研究するホーキング博士もなんと72歳なんだそうな。余談であるが、ALSの進行が止まっているというのもなんだか不思議である。映画では病院で検査を受けてから医師から「余命2年」を宣告されていたりする。

 映画はホーキング博士エディ・レッドメイン)の宇宙や時間の研究と家庭生活(こっちの方が多く描かれている)の2つをテーマにしながら物語が進んでいる。
 さえぼう先生がレビューを書いておられる(http://d.hatena.ne.jp/saebou/?of=5)が、既に映画のはじめからその兆しが窺える、難病の博士とそれを支える妻(フェリシティ・ジョーンズ)、という設定だとケータイ小説的には「恋空」以来の鉄板ネタの、お涙頂戴感動ストーリーになるはずなんだけれど、介護の大変さや、ホーキング博士の一風変わった家族観みたいなものが印象深い。
 まあ、子どもを3人作るのは良いとしても、合唱指導者のジョナサンを家庭に迎え入れたり、凡人には理解不能である。絶対、妻はジョナサン好きになるだろうよ。分かっているけれどウチの中に入れちゃうんだ、へぇ・・・。みたいな。そこは、ジョナサンの妻が白血病で他界しているという過去が関係しているのだろうか?

 ここでの「セオリー」とは何なんだろう。無神論から、創造主(なにかのきっかけ、とでもいうのだろうか)を推定するに至った博士の理論と、夫婦関係にどこがオーバーラップするのか、まだピンとこない。
 でも、博士と妻はそれぞれ別のパートナーを得て生きていく様は「バッドエンド」(不幸な結末)かといえば、そうでもない。人生いろんな事があるけれど、常に最善を尽くして、前向きに生きていくと良いことがあるよね。それは必ずしも童話の世界みたいに「いつまでも夫婦で愛し合っていきました」的なエンディングにならなくても良いんだよ。「最善を尽くすこと」がセオリーだというのだろうか。うーん・・・。

 付け加えると、エディ・レッドメインよりも個人的にはフェリシティ・ジョーンズは中盤以降、非常に魅力的な女性になっているのがポイントだ。(もちろん、レッドメインのホーキング役はかなりはまっているのであるが)