あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

彩の国シェイクスピアシリーズ「ジョン王」

 23日に観たシェイクスピア「ジョン王」の感想。
 いつも上演するさいたま芸術劇場が長期の改修工事に入る関係で埼玉会館に場所を移した。もちろん、芸劇が出来る前は文化センターや埼玉会館で演劇上演をしていたが、芸劇の演劇ホールとしての使い勝手の良さ、観劇しやすさは屈指である。埼玉会館はオケを聴くには結構良いホールだと思う。声の通りもそれなりに良い。だが、演劇には客席がいささか舞台から遠い。壁際の席もだいぶ視界が狭まるので正直なところ、役者の向きによっては何を言っているのかイマイチ聞き取りづらいところがある。
 ただ、照明やセットはかなり拘っていた。演出はいきなりフォークソングを歌っていたり(70年代的には刺さる?)、天井から遺体の人形や肉片が随時落っこちてくるなど前衛的だ。イギリス王とフランス王との諍いに常に犠牲となる民衆が、物語の新工場も常に存在すること=現在の戦争での日常と重なり合う。

 演出をした吉田鋼太郎のジョン王としての安定感は今回も抜群である。そして雰囲気がちゃんと蜷川幸雄シェイクスピアの路線の延長線上にある。違和感ない。役者は現代の青年⇔私生児フィリップの小栗旬が自然に客席と舞台を架橋する存在となり、さすがなんだけど、それ以上に一人だけ坪内逍遙訳のセリフを喋る皇太后を演じた中村京蔵が歌舞伎の所作も相まって怪演である。また子どもを奪われ気の狂うコンスタンス役・玉置玲央のエキセントリックさも印象的だった。
 あと、白石隼也がピュアな皇太子ルイを演じていたが大河ドラマに出てきそうだな,とも思った。

 随所に現代と過去を揺さぶる役者自身の歌はオペレッタだと思えばそれほど不思議ではないし、クライマックスシーンの戦車と銃口を向ける兵士は蜷川シェイクスピアロミオとジュリエットのようでもあった。(あそこまでやり過ぎではない)

 ともあれ、東京ではなく埼玉で、シェイクスピア全作品上映という快挙を達成したことを言祝ぎたいし、東京以外の公立ホールの在り方としても充分モデルとなるように思う。
 これからも年2本くらいこういう古典劇をガッツリ商業演劇的に取り組むという方向性があってもイイし、他の地方都市で演じられる作品を「さいたま公演」としてシーズン事に上演するという試みがあっても良い。これは芸術監督だけでなく、県の文化振興担当の意欲とか知事の政治力/文化に対する見識でも関係するだろう。
 ともあれ、ハコモノは作って終わりではない。何を注ぐかというところでこのシェイクスピアは非常に意義があったし、また一人の観客としても一連のシリーズは見応えがあった(絶対観られないような作品が上演されただけでも幸せである)。