あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

確かに慶事だが


秋篠宮紀子さまが第三子を無事に出産された。母子共に健康なようで何よりである。
 出産が安定的に行われるのは20代後半から30代前半頃だとかつて本で読んだ記憶がある。10代の後半では母胎がまだ完成しておらず、単に若ければいいと言うモノでもないらしい。また、40歳を超える出産は母子共に負担をかけるし、(誤解を招きかねないが)何らかの疾患を持った乳児が生まれる割合は格段に高くなる。
 だから、といっては何だけれど、30代最後で出産された紀子さまは母胎と乳児にとっても良かったのではないだろうか。


 ともかく、子どもが産まれることは慶事であろう。新しい生命の誕生は時代への希望へと繋がるし、その象徴たりうる。


 ただし、気になったのが、マスメディアの論調や街の声と称した人々の反応だ。
 管理人が気になったのは「男の子が生まれて良かった」というような表現である。これは皇位継承問題が絡むから、男児出産が望まれたと言うことなのだろう。それに、これにて皇位継承問題が当面解決したというコメントがあったりしたが管理人からすれば逆に問題は顕在化するのではないだろうか。


 まず一つめは皇位継承問題である。皇位継承皇室典範に定められているとおり、男子がこれを相続することになっている。今回誕生された親王は継承順位で言うと3番目になり、皇太子殿下→秋篠宮殿下→(まだ名前がないけど)親王となる。※以下敬称略
 そうすると、次代は当然、皇太子が天皇位に即位されるがそれ以降の継承は直系の愛子内親王ではなく、皇太子から見れば弟にあたる秋篠宮親王ということになる。
 つまり、何が言いたいかと言えば、今回の親王誕生は次々代の天皇位は直系よりも男系が優先されるということだ。これは正統性(legitimacy)の観点からすれば重大な問題をもたらしかねない。
 以前のエントリでも採り上げたようにマックス・ヴェーバーによると正統性を持つためには
①伝統的支配
②合法的支配
③カリスマ的支配
という三種類の類型に分けられる。天皇制はこの中で①伝統的支配に属するものといえるだろう。この観点からすれば天皇天皇たる為には伝統のきまりのなかで決定すればよいわけだから、直系と男系の対立問題が出てきたところで男系をもって継承させれば何ら問題がない。
 天皇家皇位継承の問題は先に述べたとおり、日本国憲法制定以前の皇室典範によって規定される。それは憲法の「例外」事象である。第2条とも関連するのだけれど、憲法制定以前に存在した天皇制を内包する形で日本国憲法は成立しており、従って、第14条の男女の平等という原則はここでは及ばないというのが通説である。
 しかしながら、第1条では「その地位は国民の総意に基つく」とされている。つまり天皇の地位は大日本帝国憲法のように不変的なものではなく可変的なものとされる。ここに問題があると管理人は考える。第14条によって戦後、男女平等が国民の間で広まった。現在では都市部では「女性が家を継げない」といった封建的な発想は殆どなく、性別に関係なく長子だから、とか経済的に余裕があるから、といった理由で家を継ぐ(親の面倒をみる)場合が多い。(家を継ぐ、という発想そのものも希薄化しているけれど…)
 このように国民の間で家(例えば祖先供養などの祭祀権)の継承に男女の区別を設けるという発想そのものが「過去のもの」となりつつある現在、そしてますます無くなっていくであろう将来、「国民の総意に基つく」天皇の地位が伝統的支配のイズムゆえに動揺を来してしまうのではないか、ということだ。言い換えれば伝統的支配と合法的支配との間で齟齬が生じ、深刻な対立が生まれかねないという懸念が管理人にはある。
 これは天皇制と近代国家の支配原理との関係を充分考えた上で結論を出さなくてはいけない問題だろう。どのように結論を出すかはもちろん、人それぞれだけれど…。


 もう一つは皇太子妃雅子さまの問題である。より広範に言えば皇室の女性の問題とも言えなくはない。
 先にも触れたが今回の出産で「男の子が生まれて良かった」と、どうも女児よりも男児を望んでいる、というニュアンスが感じられて仕方がない。しかしこれは子供を産む女性にとって、とりわけ皇太子妃にとっては重圧だろうと思う。
 子どもが望まれているだけならまだ分かる。だが、それだけではなく「男児」を求められているのだ。管理人がテレビをぼんやり見ながらそう感じるのだから、皇太子妃の日々受けたプレッシャーは並々ならぬものがあったろう。それゆえ皇太子としては異例の「人格否定発言」があったりしたのだ。
 外務省キャリアとしての目標が恐らくあっただろうにも関わらず、そうした夢を断念し皇室に入り、それまでの経験を違ったかたちで役立てようと思っただろう。しかし実際に大衆や宮内庁の期待は皇太子妃にそれまで歩んできた生き方とは全く違った「世継ぎの出産」であったとすれば、それはラディカルなフェミニストの言うように「女性を単なる子宮としてしかみなさない」のと変わりないではないだろうか。
 どうもそのあたりの配慮の無さがマスメディアには突出しているし、いわゆる保守派と呼ばれる人々もそのへんの意識が疎い。もう少し慮れないものか、それこそ美徳とするところだろうが…。

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