メディアから忘却されるという恐怖
昨日(火曜)の報道ステーションの特集でカトリーナ被害から100日という企画があった。なかなかイイ企画だと思う。
このところ世間はニュースが多すぎて結構最近あった出来事であっても、もう忘れちゃうからだ。
本来であれば、そこで定期的に追跡取材をすることが事件の原因→結果→対応を考える際に重要なんだけれども、今の報道にはそれが欠けていると思う。
ワイドショー的に数字がとれれば良いんだ、と思っている(実際スポンサーの関係もある)から、どうしても表層的に、ある種、パパラッチ的な報道になってしまうんじゃないだろうか。
広島の女子児童殺害で、被疑者のピサロ・ヤギは出国できたのか?(本国で前科があるらしい)とか、衆議院議員・西村慎悟の弁護士法違反問題(ハッキリ言って名義貸し)、今後の政治や社会のあり方を考える上で重要だと思うことが、全くスルーされてしまっている。
そうすると、これらの事件は僕らの意識からは遠のいてしまうし、それが結局、何も考えない短絡的対応を助長させる一因になってると思う。
そんなことを思いながら、カトリーナ被害の続編をみた。相変わらずニューオリンズの街は荒廃したままだ。もちろん、中心部や白人層がすむところはちゃくちゃくと復興している。しかし、もっとも被害の激しい黒人貧困層が住む地区は、まったくと言っていい程、復興されていなかった。
もっとも、これも報道のバイアスがあり得るのだが、3ヶ月以上経つのに、東京ドーム28杯分の残骸が今も残っていると言うことだ。
もともと、ニューオリンズの堤防がレベル3までのハリケーンにしか対応していなかったらしい。そこで、カトリーナと同じレベル5クラスに対応できる堤防を造ることにしたらしいのだが、完成は2025年だとか。
加藤千洋の指摘にもあったがNASAは2020年までに月面有人着陸をするつもりらしい。
宇宙開発も大いに結構だが、肝心の国民の一部に生活できないこの事態を、政府はどう考えているのだろうか。
世界でもっとも豊かな国・アメリカに管理人はどうしても憧れを見いだせない…。