あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

音楽の持つ力を信じて〜新日本フィル第九特別演奏会

新日本フィルハーモニー交響楽団 2005年『第九』特別演奏会

12月23日(金)開演15:00 すみだトリフォニーホール

マルティヌー:リディチェへの追悼

ベートーヴェン交響曲第9番 ニ短調 op.125 「合唱付き」

指揮/ヴォルフ=ディーター・ハウシルト
ソプラノ/大倉由紀枝
アルト/菅 有実子
テノール/長田峰雄
バス/大澤 建
合唱/栗友会合唱団
合唱指揮/栗山文昭

 年末といえば、忠臣蔵に第九というのが日本の風物詩!?
 コンサートプログラム(解説は岩野裕一)によれば、第九は既に俳句の季語になっているというんだから、それだけ定着したと言うことでしょうねぇ。
 日本の第九は正月の「餅代」稼ぎだ。なんて悪口を言う人がいますが、イイ曲だし、悪くないんじゃないでしょうかね。
 以前、NHKだと思うんですが、なんで第九が年末に多いか?みたいな事をやっていて、それはやはり「餅代」だと(笑い)。合唱が入るが為に、歌うヒト(=合唱団のヒト)の知り合いや家族が演奏会に来るので客が見込めるからだ、なんて言ってましたが本当でしょうか?
 それでも、第九というのがヨーロッパでは祝祭的な場面で歌われるというのはよく分かります。ベルリンの壁が崩壊したときも「第九」を歌って喜びを分かち合ったし、EUの歌かなんかでも確か第九が使われていたような気がします。(この辺、記憶が曖昧ですが…)
 「いだき合え、何億もの人々よ! この口づけを全世界に与えよう!」といった第九の歌詞の一節には近代以降の人類の理念が凝縮されているから、この曲は今なお、力を持ち続けるんでしょう。近代から現代では実際には市民社会から大衆社会へと政治・社会システムは変わっているのに、その根本たる政治原理や理念が変わらない(言い換えると代わりに理念を見つけられない)のでこのような詞に今なお説得力があると管理人は個人的には思います。


 第九に関する個人的な考えはこれくらいにして…。
 マルティヌーのリディチェへの追悼は初めて聴きました。ナチス・ドイツチェコのリディチェで虐殺を行ったことをを知った、ボヘミアの作曲家マルティヌーが書いた作品。
 怒りを込めて数日で書き上げられた作品という成立背景から、思ったのはこれは音楽版「ゲルニカ」だなぁと。ゲルニカはご存じの通り、ピカソが似たような経緯で描いた作品ですよね。
 曲は、ドキュメンタリーとかのBGMで流れていてもおかしくないような曲。人々が薙ぎ倒されていくような悲痛な音楽が展開されます。その後、徐々に曲は明るくなって終わるという、希望を持たせる(あるいは平和への真摯な思い)が伝わってくる曲です。


 休憩なしで、そのまま第九へ。
 プログラムによると指揮者のハウシルトは旧東ドイツ出身で、アーベントロートに指揮法を学んだとか。聞いていて常に思ったのは、新しいタイプの演奏じゃないなぁ、ってことです。アーベントロートの名前を見つけて納得。キャリアを旧東ドイツで積んだことでも分かるように、アーベントロートコンヴィチュニー、あるいはヨッフムらと同じ響きがするんです。
 基本的に弦に厚みを持たせる、やや重心の低い音作りをしていて、なおかつ強固な型式観がある、といえば伝わりやすいのかな。
 19世紀のロマン臭がする、ってコトじゃないんですが、現代化される前の「いかにもドイツっぽい」響きというか音楽が展開されていきます。
 管理人、こうした方向性の音楽は非常に好きです。聴いていて非常に安心するというか、ベートーヴェンはこうじゃないと!と思います。ベートーヴェン、それも第九をスマートにまるでポルシェでも乗り回すように演奏されたらたまったもんじゃない。
 それを考えると、かなり良かったかな。
 第1楽章は強固なソナタ形式を再現すると共に、展開部ではテンポを落としてこの後、ロマン派がすぐそこまで来ていることを印象づけられます。しかし、テンポを落としすぎないが為に、ソナタ形式という古典派の形式美がきちんと成立していて良かった。
 第3楽章も、木管の掛け合いが見事です。新日本フィルを聴いていて思うのは、木管群がとてもきれいなんですよね。都響の定期会員をしてる身からすると、こういう箇所でハッとさせられます。ソロでも有名なオーボエの古部さんはじめフルート、ファゴットクラリネットがいい音を聞かせます。
 この第3楽章のアダージョを聴くと、弦の美しさもさることながら、木管群が重要(それは第2楽章でもそうなんですが…)だと分かります。
 合唱がある第4楽章。歓喜の主題を弾き始める始まるコンバスとチェロのニュアンスの良さ、よく練れている感がありました。この歓喜の主題が盛り上がっていく(164小節〜)んですけど、この時、全部の楽器がフォルテになるところで、金管がが音を押さえられていたのが印象的でした。それでもトリフォニホールだから木管群で充分だと判断したんでしょうか?個人的にはファンファーレのように金管にこの主題を吹いてもらいたかったですが、これはこれでちょっと新鮮でした。
 合唱は男声中心。もっと女声を増やして。第九で合唱の一番有名なとこの前(525小節〜)で、これはブライトコプフ版の新版か?と思わせる箇所が…。ベーレンライター版と同じようにホルンが従来と違うんです。もう、昔のに慣れちゃったからなぁ。もう、こうなると「正しい」とか「間違ってる」とか関係ないですね。フルトヴェングラートスカニーニカラヤン朝比奈隆も…みんな使ってたスコアでもって聴き込んでしまったわけですからもう今更、なんて思ったりして(苦笑)。細かいけど、トライアングルがコンマ何秒かで早いかな。もしかすると正確なのかもしれないけど、若干早く「聞こえる」というのは先走りな感がする。

 でも、気になったのはそれくらいで、後は非常に良かったです。第九は時々外れもありますが、今日は良かった。一昨日のフルネラストコンサートといい、2005年のコンサートとして締めには良かったです。
 プログラミングで見た場合、ハウシルトの狙いはある程度成功かなぁ。ベートーヴェンの意志に満ちた音楽と平和への思いにこだまさせて。

ベートーヴェン:交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番

アーベントロートをはじめとするお歴々のディスク。コメントする前に12月終わるな。確実に。orz