あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

将来のマイスターとなるか@「東京の夏 音楽祭」宮田大 チェロ・リサイタル


2006年 7月13日(木) 19:00  紀尾井ホール


シューマン:幻想小曲集 Op.73
R.シュトラウス:チェロ・ソナタ ヘ長調 Op.6
コダーイ無伴奏チェロ・ソナタ Op.8

宮田 大(チェロ)
鈴木慎崇(ピアノ)


 今年も東京の夏・音楽祭の公演の一環を聴くことができた。もう、この音楽祭も22周年になると言う。その割にはあんまり知名度が高くない。別府のアルゲリッチ音楽祭の方が盛り上がっている気がするのは僕の気のせいだろうか…。
 もっと、市井のヒトのレベルにまで音楽が入り込むような形にした方が良いんじゃないか?たとえば、音楽祭期間中は、入れ替わり立ち替わり東京駅の「駅コン」を週1ペースでやるとかさ、在京オケや、音大生なんかを積極的に動員したりとか、それこそ音大を卒業したOBやOGはたくさんいるし、アマチュアや音楽愛好家なんかたくさんいるんだから、そーいった人たちを巻き込むような形を作ったらいいと思う。


 さて、本当はギトリスを聴きたかったんだけれど、どうしても日程が合わなかったのでこっちを聴いてみることにした。宮田大は2005年第74回日本音楽コンクールにてチェロ部門第1位受賞をしたヒトらしい。現在も音大に通っているんじゃないかな。
 だけど、生年が1986年だって言うから今年で20歳という恐ろしさ。弟と1つしか変わらない。まぁ、そんなことはどーだって良いんだけれど、でも、才能のある人は違うなぁ。やっても伸びないっていうのが凡人の悲しい性。それは学問の分野でも変わらないです。


 舞台に登場する宮田はまだ20歳か!?と思わせるほどの落ち着きぶり。舞台慣れしているというのか、あまり緊張しないタチなのか良く分かりませんが、いわゆるコンクールの優勝者、みたいなソリストの演奏会を聴きに行くと舞台の上でオドオドしていたり、カーテンコールがぎこちなかったりするんですが、そーいったそぶりは見受けられなかった。
 シューマンは高音を奏でるときに今ひとつ伸びというか艶っぽさが欲しいところもあるんですが、そのほかは大過なく弾き通せたと言った感じ。
 R.シュトラウスはピアノ伴奏の鈴木慎崇と間でしっかりと意思疎通が図られている。非常に説得力のある演奏。曲自体も、R.シュトラウス初期の作品ながら、とても良く書けている。個人的にあんまり後年の作品が好きではないので、こうしたスタイルの曲はイイと思う。非常にダイナミックなところはダイナミックに。よく、「若さを武器に」といいますが、当然武器にしたらいいと思うんですよ。年取ったら、やっぱり枯れちゃうから。それにチェロという楽器は、エネルギッシュさというのも必要だと思うんですよね。そりゃ、カザルスやフルニエの様なところにまで高まってしまえば別ですが、その持ち味を活かすには奏者の肉体的制約って言うのはあるように思う。


 休憩夾んで、コダーイ無伴奏ソナタハンガリーの民族的旋律を活かせているか、という解釈の点からすれば、更なる高みへの余地はあるモノの、この技巧的に高度な技術を要する作品にしっかりと応えていたところは非常に素晴らしい。
 ともかく、「若さゆえ」って言葉を全面的にプラスに活かした演奏です。力強くもしなやかなに弾く宮田大のチェロは、ハンガリー的な(言い換えればスラブ的な)土俗性、力強さというものに非常に調和しているのではないだろうか。といった印象さえ受けました。
 力強さ、そして、しなやかさ。そこから生み出されるダイナミズムは非常にこの曲を効果的に再現するのに成功しています。


 アンコールは、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ。哀愁を帯びたこの旋律をチェロで聴くと非常に「哀愁」めいていてイイですね。オケバージョンくらいしか聴かないですから。


 そんなわけで、3500円のチケットでしたが、個人的には「安い、おつりは貰った」と思う、良い演奏会でした。それにしても、宮田大。これからどこへ行くのだろうか…。
 自分と同じ世代のヒトの演奏を聴くのは、その変化を追えて良いですよね。歴史の証言者みたいな(笑い)。